<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>書籍レヴュー &#8211; 自分を育てる</title>
	<atom:link href="https://happoblog.org/archives/category/%E6%9B%B8%E7%B1%8D%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%83%A5%E3%83%BC/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://happoblog.org</link>
	<description>いちばんの大切をいちばんに</description>
	<lastBuildDate>Tue, 06 May 2025 06:26:57 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=7.0</generator>
	<item>
		<title>いい子とやばい人</title>
		<link>https://happoblog.org/archives/%e3%81%84%e3%81%84%e5%ad%90%e3%81%a8%e3%82%84%e3%81%b0%e3%81%84%e4%ba%ba/</link>
					<comments>https://happoblog.org/archives/%e3%81%84%e3%81%84%e5%ad%90%e3%81%a8%e3%82%84%e3%81%b0%e3%81%84%e4%ba%ba/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 06 May 2025 06:23:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生の知恵]]></category>
		<category><![CDATA[批評]]></category>
		<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
		<category><![CDATA[書籍レヴュー]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://happoblog.org/?p=220</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/05/ai-generated-9062661_1280-1024x579.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>虐待された子はいい子にならざるを得ない、と前回書いた。愛され、保護されるために、自分であることではなく、いい子であること、圧倒的に強い力を持つ大人に気に入られることを無意識に選ぶ。選ばざるを得ない。 「流浪の月」には、い [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/05/ai-generated-9062661_1280-1024x579.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p class="wp-block-paragraph">虐待された子はいい子にならざるを得ない、と前回書いた。愛され、保護されるために、自分であることではなく、いい子であること、圧倒的に強い力を持つ大人に気に入られることを無意識に選ぶ。選ばざるを得ない。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「流浪の月」には、いい人ではなく、やばい人が登場する。更紗の母親（父親も）だ。彼女は、我慢をしない人。ママ友がひとりもいない、そしてそのことを全く気にしていない。ママ友のおつきあいより、楽しいことがたくさんあるそうで、映画を観ること、音楽を聴くこと、朝でも昼でも飲みたいときにお酒を飲むこと。お父さんと更紗との暮らしを愛することに忙しく、つまんないことに割く時間なんてないという人だ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「灯里さんは感覚的なんだ」とお父さんは言い、同じマンションのおばさんたちは、浮世離れしているとこそこそ言っている。浮世離れの意味がわからなくて、更紗が物知りそうな図書館のおねえさんに訊いてみると「マイペースすぎてやばい人」と教えてくれる。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そういうお母さんと、隠しているだけでやばい人かもしれないお父さん。じゃあ、やばいふたりの一人娘であるわたしは？いつか、やばい人になるのかな？と更紗は考える。</p>



<p class="wp-block-paragraph">明るいうちからお酒を飲み、気が向いた時にしか料理をしないお母さん、たまにはアイスクリームが夕食になるお家、子どもには過激とされる映画を家族で観て、お父さんとお母さんがおはよう、おやすみ、いってきます、おかえり、とよくキスをする、それら諸々すべてがクラスメートには信じられないことだったようで、彼女は学校では変わり者で、仲間はずれだ。理由は、変な家の子、だから。でも彼女の家では、それらは笑い話になる。更紗は陰口を言われてもまったく傷つかなかった。お父さんとお母さんがやばい人でも、更紗はふたりが大好きで、やばいことになんの不都合も感じなかった、そういう我が世の春の子ども時代を彼女は過ごす。その幸せは続かないのだけれど。</p>



<p class="wp-block-paragraph">暴力や力の強い大人からの抑圧によって、自分でいることが認められない、いい子。<br>やばい両親だけれど、大好きで、やばいことになんの不都合もなく幸せでいられる、変わり者の子。</p>



<p class="wp-block-paragraph">子どもたちには、成長のその時々に備わっている力がある。養われていく力もある。早く歩くとか、早く字を覚えるとか、よその子と比べて、優れていて欲しいと思うのは、親ならば誰でもやりがちなことだろうけれど、本当に必要なこと、親にできる最大限のことは、その子が、自分の良さや変さ、やばさを、認めること、なんの不都合もないということに気づくこと、周囲の目より、陰口より、自分の幸せを優先して当たり前だという強さを伝えることではないだろうか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">というより、むしろ大人や親自身が、自分の幸せ、自分の変さ、やばさを受け入れることが大事だろう。親だから、しっかりしていなくては、とか、子どもを躾けなければとか、妙ないい格好しいに陥っていないか、自問自答する方がいい気がする。</p>



<p class="wp-block-paragraph">もし大人が、実力ではなく大人という権力で子どもに向かい合ったなら、子どもは実力では愛されないと思い、無理ないい格好しいを真似るかもしれない。</p>



<p class="wp-block-paragraph">正直にありのままで、キミが居てくれて幸せ、と子どもたちと生きれていたら、子どもにはそれが伝わる。</p>



<p class="wp-block-paragraph">人間がひとりひとりに分かれているって、それぞれに良くて変でやばくて、違和感もあって、別々の力や人生の宿題を背負っているからではないかな、と思う。親子だって、似ていたって、別もの。尊重して尊敬するべきものではないか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">変さ、やばさ、それを自分で認める、受け入れて生きる親たち。更紗はその価値観の中で過ごしたから、それからの困難を乗り越えられたのではないだろうか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">目には見えないものだけれど、自分の幸せを自分で掴み取っていくための、強さの芯。唯一無二の自分の価値を、自分で認める。現実を、正直さを、実力を。そのまま生きる強さが培われていたと思えるのだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph"></p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://happoblog.org/archives/%e3%81%84%e3%81%84%e5%ad%90%e3%81%a8%e3%82%84%e3%81%b0%e3%81%84%e4%ba%ba/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>境界線の自由　距離の自在</title>
		<link>https://happoblog.org/archives/%e5%a2%83%e7%95%8c%e7%b7%9a%e3%81%ae%e8%87%aa%e7%94%b1%e3%80%80%e8%b7%9d%e9%9b%a2%e3%81%ae%e8%87%aa%e5%9c%a8/</link>
					<comments>https://happoblog.org/archives/%e5%a2%83%e7%95%8c%e7%b7%9a%e3%81%ae%e8%87%aa%e7%94%b1%e3%80%80%e8%b7%9d%e9%9b%a2%e3%81%ae%e8%87%aa%e5%9c%a8/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 06 Mar 2025 06:47:53 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
		<category><![CDATA[書籍レヴュー]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://happoblog.org/?p=188</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/03/lima-3759138_1280-1024x682.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>自由をくれる境界線に加えて“自分”を作るもう一つの要素は、人と人の距離感覚だ。 わたしは小学校でいじめに遭って、学校を飛び出したことで先生や他の生徒たちが気づいてくれて、事なきを得た、という経験があるのだが、それからずっ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/03/lima-3759138_1280-1024x682.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p class="wp-block-paragraph">自由をくれる境界線に加えて“自分”を作るもう一つの要素は、人と人の距離感覚だ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">わたしは小学校でいじめに遭って、学校を飛び出したことで先生や他の生徒たちが気づいてくれて、事なきを得た、という経験があるのだが、それからずっと不思議だったことがある。</p>



<p class="wp-block-paragraph">いじめる子たちがいた。いじめられる私がいた。そのほかにどちらにも関わらない、加担しない子どもたちがいた、という事実。傍観者と悪くいうこともできるが、自分で自分の平穏を保てていた賢明な子たち、とも言える。どうしたら、そのどちらにも関わらない、安全地帯に居れるのだろう、何となく、そんな謎が長い間私の中に残っていた。</p>



<p class="wp-block-paragraph">いじめが起きた時、絶対的に加害者が悪いと言われることが多い。でも当事者として、少しの違和感があった。実はいじめられる側にも何か原因があるのではないか、とずっと感じてきた。</p>



<p class="wp-block-paragraph">人間関係がうまくいく人は距離の取り方が上手いと、あるYouTubeの動画で知って、ふむ、と思った。</p>



<figure class="wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-block-embed-youtube wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe title="人間関係を上手に構築できる人。" width="500" height="281" src="https://www.youtube.com/embed/wyYfQG1qweE?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
</div></figure>



<p class="wp-block-paragraph">近づきすぎるというのは、相手に恐怖感を与える。職場ではいい人なのに、家に帰ればDVというのも、近すぎる距離のなせる技ではなかろうか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">自己コントロールの効かなそうな人の危険区域に入ってはいけないのだ。自己コントロールの効かない私のような人間には、見分けがつかない。周りに見習ったりできるような自己コントロールの上手な親しい人は見当たらなかった。夫婦は仲が悪くて愚痴を言っていて当たり前、みたいな世間を生きていた。私の頭の中には、虐める人と虐められる人の、境界線も距離もない、一方的で暴力的な会話が棲んでいたのだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「流浪の月」の登場人物、更紗の同棲相手の亮ちゃんも、そういう人物だ。実家の人びとの間で交わされる会話は、強権的で一方的だ。亮ちゃんの頭の中にも抑圧的暴力的なもうひとりの人が棲んでいて、思い通りにならないと暴力が飛び出してくる。更紗は、傷だらけになりながらでも、ちゃんと逃げ出してくることの出来る女性。彼女の中には、他者を尊重する対話や自分で決めて自分で選べる、自分自身が棲んでいたのだと思う。</p>



<p class="wp-block-paragraph">他者を、自分とは別の、その人なりの考えを持った人として尊重していたら、撲ることは出来ない。悪口を言うことも出来ない。別の人というのは、自分にとって、自分の判断では分からない存在なのだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">分からないなら、距離が必要だ。観察する時間も要る。ある程度離れているから、いいところ悪いところが見える。客観的で理性を持っていられる。平和で継続可能な仲良しになりたいなら、無闇矢鱈に近づくことは危険だ。あぁこんなこと、知ってる人には当たり前のことなんだろうなぁ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">でも、たとえばもしアイスクリームを食べたことがなければ、その味は知らない。精神的な成長のことのように見えないことは、知らないことを知ることも出来ない。そういうことはいっぱいある。</p>



<p class="wp-block-paragraph">自分は、人間は、愚かだなぁという自覚が、人生を慎重に大切に丁寧に少し辛抱しながら幸福に生きていくのに必要だ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ちなみに、近過ぎて、憎々しい存在にゴキブリがいる。トンボや蝶のように別の区域ではなく、私たちの領域を侵す存在。同じ食べ物（それもゴミのようなできれば見たくないもの）に寄ってくる。同じ昆虫なのに、私たちは平気で殺せる。実は毒性はないらしいのに。遠くにいてくれさえすれば、これほど憎まないだろう。吉田秋生さんの作品にゴキブリが主人公の漫画がある。見られたら殺されてしまうゴキブリの側から描いた短編。私たちの偏見や凝り固まった当たり前に、小さな罅を入れてくれる隠れた傑作。<a href="https://www.amazon.co.jp/%E5%8D%81%E4%B8%89%E5%A4%9C%E8%8D%98%E5%A5%87%E8%AB%87-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E5%90%89%E7%94%B0%E7%A7%8B%E7%94%9F-ebook/dp/B00YOWWX1Y">https://www.amazon.co.jp/%E5%8D%81%E4%B8%89%E5%A4%9C%E8%8D%98%E5%A5%87%E8%AB%87-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E5%90%89%E7%94%B0%E7%A7%8B%E7%94%9F-ebook/dp/B00YOWWX1Y</a></p>



<p class="wp-block-paragraph">距離を取ることの意味を書いたけれど、距離を取れず近づいてしまうことは、自分自身を放りっぱなしだという不足があるとしても、他人の気持ちを理解する共感力を養ってくれる。聴覚障害者とDVの両親の下で繰り返された、徒労めいた気遣いで身についた共感力。あんの状況に想いを馳せられるのも、そのおかげだ。人生に無駄はないのかもしれない。活かせるかどうかだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">究極は、距離を縮めたり、遠ざかったり、忍者っぽく自在に運用できる自分になれれば、出会った人と平和に居れる。日々、練習。筋トレみたいに、筋肉痛になりながら、少しずつ柔軟に強く早く動ける心身を作っていく。</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://happoblog.org/archives/%e5%a2%83%e7%95%8c%e7%b7%9a%e3%81%ae%e8%87%aa%e7%94%b1%e3%80%80%e8%b7%9d%e9%9b%a2%e3%81%ae%e8%87%aa%e5%9c%a8/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>自分を守る境界線で安心する</title>
		<link>https://happoblog.org/archives/%e8%87%aa%e5%88%86%e3%82%92%e5%ae%88%e3%82%8b%e5%a2%83%e7%95%8c%e7%b7%9a%e3%81%a7%e5%ae%89%e5%bf%83%e3%81%99%e3%82%8b/</link>
					<comments>https://happoblog.org/archives/%e8%87%aa%e5%88%86%e3%82%92%e5%ae%88%e3%82%8b%e5%a2%83%e7%95%8c%e7%b7%9a%e3%81%a7%e5%ae%89%e5%bf%83%e3%81%99%e3%82%8b/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 04 Mar 2025 06:31:42 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
		<category><![CDATA[書籍レヴュー]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://happoblog.org/?p=186</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2023/10/kelvin-han-cj3J5sRrXMw-unsplash-768x1024.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>「自分は自分、他人は他人」という言葉がある。それほど腑に落ちないまま、聞き流していたのだけれど、アダルトチルドレンについて書かれた「子どもを生きればおとなになれる〈インナーアダルト〉の育て方」という書籍を読んで、“境界” [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2023/10/kelvin-han-cj3J5sRrXMw-unsplash-768x1024.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p class="wp-block-paragraph">「自分は自分、他人は他人」という言葉がある。それほど腑に落ちないまま、聞き流していたのだけれど、アダルトチルドレンについて書かれた「子どもを生きればおとなになれる〈インナーアダルト〉の育て方」という書籍を読んで、“境界”という考えを知って、自分がいかに自分と他者という境界線を引けずにいたかに気づけた。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ーー境界とは、自分が他の人とは別の独立した存在であることを保証するものです。私たちの育った家庭では、多くの場合、境界のゆがみや混乱が起こっていたり、はっきりした境界が存在しませんでしたーーp．29<br>ーー十歳の娘にあなたのお父さんは浮気したのよと話すことは、子どもの安全を損ないます｡母親はそのことを誰かに話す必要があるかもしれませんが、その相手はおとなとしての能力があって適切なサポートや助言ができる人であるべきですーーp．30</p>



<p class="wp-block-paragraph">日本には「子は鎹（かすがい）」ということわざがある．辞書には、鎹とは土台のつなぎ目や、梁（はり）と梁をつなぐために打つ金具、二つのものをつなぎとめる役目をなすものの意にも用いられる、とあった。</p>



<p class="wp-block-paragraph">子どもは夫婦をつなぎとめる役目をなすものなのだろうか。子どもは、太い梁と梁をつなぎとめる役割は負えない。子どもには、自分が太い梁になることが優先的な仕事であって、親はどうぞ自分たち同士でつながってくださいと言いたい。</p>



<p class="wp-block-paragraph">わたしの幼少期の場合、昼間は、父親の暴言を受けていじめられて悔しい母の愚痴と悪口を聞き、夜には酒を飲む父親がどうぞ今夜は機嫌よく飲み終えてくれますように、と気を使い、そしてその想いは決して成功することは無く、失敗体験だけが自分の中に積み重ねられて過ぎていた。</p>



<p class="wp-block-paragraph">大人になっても、子どもの時に作られなかった、自分という境界線は薄いままだった。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ようやく知った境界線を意識できると、とても楽になった。誰もが自分をちゃんと生きている。誰かの欠けた何かを見つけて、それを解決しようと、侵入して干渉して、何とかしなければという強迫観念に脅かされて生きる必要はどこにもないのだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">その時間とエネルギーは自分に使うのが賢いのだ。自分に向き合うことは、目が外向きについている人間としては、実はとても骨の折れる作業だったりする。よほどうまくいかない限り、あるいは志や目標を持たない限り、自分を見つめることは難しい。恐るべき自己保存現状維持ホメオスタシスの力。劣等感に塗れた自分など見たくもない、という悪循環もあったし。</p>



<p class="wp-block-paragraph">でも境界線を引くことを知ったことで、自分がおぼろげながらも見えてくる。一人の生命が存在するのに、この歳まで生きてくるのに、どれほどの食物を食べただろう。数えきれないほどの植物、動物の生命。その豊かさを生み出してくれる、地球のシステム、毎日毎日の苦労の積み重ねで、今の社会を築いてくださったご先祖様や、先人の方々。感謝。</p>



<p class="wp-block-paragraph">まず、この小さなわたしを幸せにすればいいのだ、境界線で区切られたこの自分がまず先でいいのだ。こんなに狭くていいんだ。それぞれが重荷の一部分を背負っているから、安心していいのだ、そして反面、誰かがわたしを気遣ってくれなくても、責めるいわれはどこにもないのだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">自由。そんなふうに肩の荷が降りる気がした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">あんも境界線に守られていたなら、逃げれたのではないだろうか。逃してあげたかったな。起きている苦境よりも、本当はあなたの生命の方がずっと大きくて強くて重要なんだと、伝えたかった。</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://happoblog.org/archives/%e8%87%aa%e5%88%86%e3%82%92%e5%ae%88%e3%82%8b%e5%a2%83%e7%95%8c%e7%b7%9a%e3%81%a7%e5%ae%89%e5%bf%83%e3%81%99%e3%82%8b/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>自分の中の、もうひとりの人</title>
		<link>https://happoblog.org/archives/%e8%87%aa%e5%88%86%e3%81%ae%e4%b8%ad%e3%81%ae%e3%80%81%e3%82%82%e3%81%86%e3%81%b2%e3%81%a8%e3%82%8a%e3%81%ae%e4%ba%ba/</link>
					<comments>https://happoblog.org/archives/%e8%87%aa%e5%88%86%e3%81%ae%e4%b8%ad%e3%81%ae%e3%80%81%e3%82%82%e3%81%86%e3%81%b2%e3%81%a8%e3%82%8a%e3%81%ae%e4%ba%ba/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 03 Mar 2025 05:43:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
		<category><![CDATA[書籍レヴュー]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://happoblog.org/?p=182</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/03/IMG_0849-1024x1024.jpeg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>映画「あんのこと」の中で、わたしにとって最も哀しかったシーンは、団地の狭くて暗くて長い階段を、暴力を振るう母親に先導されて、バギーを抱えて登って行く場面だ。 「行くな、行かないで」と叫びそうになった。 なぜ、暴力を振るう [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/03/IMG_0849-1024x1024.jpeg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p class="wp-block-paragraph">映画「あんのこと」の中で、わたしにとって最も哀しかったシーンは、団地の狭くて暗くて長い階段を、暴力を振るう母親に先導されて、バギーを抱えて登って行く場面だ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「行くな、行かないで」と叫びそうになった。</p>



<p class="wp-block-paragraph">なぜ、暴力を振るう母親の元に戻らなければならないのか。どうして逃げないのか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">端的に言えば、彼女には“自分“が無かったのだと思う。<br>あんは、あんの身体を持っていた。紛れもなく“自分”だ。<br>物理的な一つの存在。世界でたった一人の。<br>だけど、彼女を守る“自分”がいなかったのだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">自分を守って、損得を考えて、優先順位をつけて、行動する自分。<br>決めたり選んだり出来る自分。</p>



<p class="wp-block-paragraph">わたし自身、ついこの間まで、事あるごとに、自分に「死ねば」だの「何やってんだ」など、言い続けていた。よく自殺したいとも思っていた。ただ空想するだけでリスカさえしたことはないけれど、何かにつけ自暴自棄めいていた。両親が生きていた時は、悲しむから出来ないと思ったし、子どもたちを授かってからは、傷つけてしまうことに耐えられない、と思った。遠くから「明けない夜は無いよ」と励まし続けてくれる人も友だちもいてくださった。それでも並行して、「死ねばいいのに」とも思い続け、自分に言い続けていた。</p>



<p class="wp-block-paragraph">苦しみ悩み逃避、試行錯誤と乱読、ネット渉猟の末にようやく分かってきた。</p>



<p class="wp-block-paragraph">鍵は言葉だ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">人間は考える時に言葉を使っている。その言葉は、幼少期、会話の形で取り込まれる。つまり、発話され交わされた言葉として、やりとりとして吸収される。（鶴見俊輔さんは言葉を話すということは社会だ、と書いている）</p>



<p class="wp-block-paragraph">誰と誰がどんな言葉を交わし、コミュニケーションしていたのか。分かりあう、納得し合うところまで会話は続けられていたのか、どちらかが屈服したり言いたいことも言えず飲み込んだりしていたのか、その形が一人の人間の頭に取り込まれ、再生される。健全な対話を取り込むことが出来た子どもは、自分の頭の中に二人の話し合い考え合い思い遣れる人々を持つことが出来るのだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">わたしの例で考えると、中途難聴の母とDV気味の父。わたしが取り込んだ会話は、一方的で差別的で、対話では無かった。つまりわたしの原初の基礎の、考える元になる言葉たちは、反論の出来ない暴力的なものだった。その機能不全の自己内対話は気づくまでずっと訂正されず使用されていた。</p>



<p class="wp-block-paragraph">両親の名誉のために付け加えると、彼ら自身が、母は聴覚障碍者として、父は男の子嫌いの母親の子どもとして、尊重されず邪魔者扱いされていた。そのことに苦しんでいたし、二人とも何とかしようとしていたし、うまくいかず余計に苦しんでいた。不器用に愛してくれていた、と思う。子どもの目でわたしはそれを見ていたし分かっていた。青少年期が日清日露、二つの大戦に見舞われた時代だったという逃れられない事情も大きく影響していたはずだ。だから憎むことはできず、ただ解きたい謎として、考え続ける元になった。</p>



<p class="wp-block-paragraph">あんに話を戻すと、彼女の中に、母親の横暴に抗議し反論し、自分を守るために逃げるという言葉を持ったもう一人の自分がおらず、その考えや勇気を生み出せなかったのだと思う。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「流浪の月」では、主人公更紗が、自分を守れる子どもとして育った経緯が描かれている。その箇所については、別の機会に書く。</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://happoblog.org/archives/%e8%87%aa%e5%88%86%e3%81%ae%e4%b8%ad%e3%81%ae%e3%80%81%e3%82%82%e3%81%86%e3%81%b2%e3%81%a8%e3%82%8a%e3%81%ae%e4%ba%ba/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>石積みの石たち</title>
		<link>https://happoblog.org/archives/%e7%9f%b3%e7%a9%8d%e3%81%bf%e3%81%ae%e7%9f%b3%e3%81%9f%e3%81%a1/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 31 Jan 2025 09:58:16 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生の知恵]]></category>
		<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
		<category><![CDATA[書籍レヴュー]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://happoblog.org/?p=164</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/01/IMG_0845-1024x768.jpeg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>熊本の地震の時に、多くの建造物が瓦礫と化した中で、壊れずに残った、熊本城の石積みのことを聞かれたことはないだろうか。 削ったりせず、その石や岩、そのままの形を活かして積まれた熊本城の土台。 この工法は、最澄の興した延暦寺 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/01/IMG_0845-1024x768.jpeg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p class="wp-block-paragraph">熊本の地震の時に、多くの建造物が瓦礫と化した中で、壊れずに残った、熊本城の石積みのことを聞かれたことはないだろうか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">削ったりせず、その石や岩、そのままの形を活かして積まれた熊本城の土台。</p>



<p class="wp-block-paragraph">この工法は、最澄の興した延暦寺のお膝元の地で生まれた。現在もその工法は受け継がれていて、日本中を廻って講習活動を続けておられ、海外から指導を請われることも多いそうだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">その伝統の工法を受け継がれている方に、お尋ねしたことがある。<br>「この、そのままの形を活かすことと、それが最も頑丈で強いことは、人間にも当てはまりますか？」と。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「仏さまの教えの地から生まれた工法ですから、人間についても同じと言えるかもしれませんね。ただ、実際は大きい石を支えるために、たくさんの小石や平たい石も使いますが」とお答えくださった。</p>



<p class="wp-block-paragraph">どれひとつとして同じ形のない石、岩。人間も同じように見えて、石の違い以上にそれぞれ違う存在なのかもしれない、と言えないか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">親子であろうと、同じ土地の出身だろうと、同い年だろうと、同じ誕生日だろうと、比べようもなく異なっているのではないか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">あんの出自や幼少期は、山のてっぺんから転げ落ちた岩のように彼女を傷だらけにしていただろう。けれど、だからこそ、そのでこぼこで、支えられる人々がいて、活かされる場があったのではないだろうか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">この私も実は、絶えず誰かと比べて劣等感に苛まれ、どこかに正解を探してへとへとに疲れ果てることを習い性にしながら、今までの人生のほとんどを過ごしてきた。</p>



<p class="wp-block-paragraph">でも、人間のように複雑な構造物が、単純な点数や、顔の良し悪しや、地位や役職で比べることなぞ出来ないし、そうしてしまうくらい、人間というのは愚かだと思うようになった。宇宙が存在させた以上、価値のない人などいない。人間社会にとって有用とか無用とか、愚かしめの判断はできるかもしれないけれど。愚かしい判断かもしれないという自覚は必要な気がする。</p>



<p class="wp-block-paragraph">もうひとつ、興味深い話を石積み会社の社長さんから伺った。ご自身は、大学に行かれたので、根っからの石積み職人さんでなく、そんなことは起こらないそうだが、職人として修業を積まれたお父様と、息子さんには、石の声が聞こえるそうだ。準備して置いてあるたくさんの石の中から、「そこには私が行きます」という声が。</p>



<p class="wp-block-paragraph">私たちそれぞれにもきっと、「そこは私が」という働く場、生きる場、活かされる場所があるのだ、と励まされる、不思議なお話だった。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>心の中の感覚</title>
		<link>https://happoblog.org/archives/%e5%bf%83%e3%81%ae%e4%b8%ad%e3%81%ae%e6%84%9f%e8%a6%9a/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 30 Jan 2025 01:59:43 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
		<category><![CDATA[書籍レヴュー]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://happoblog.org/?p=161</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/01/IMG_0844-1024x948.jpeg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>あなたの心の中は、穏やかだろうか ビクビクしている、ドキドキしている、焦っている、なんとなく不安。自分の心の中は、自分だけの聖域なはずだ。誰も邪魔出来ない、侵すことの出来ない領域であるはずだ。本来は。 外は晴れているのに [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/01/IMG_0844-1024x948.jpeg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p class="wp-block-paragraph">あなたの心の中は、穏やかだろうか</p>



<p class="wp-block-paragraph">ビクビクしている、ドキドキしている、焦っている、なんとなく不安。自分の心の中は、自分だけの聖域なはずだ。誰も邪魔出来ない、侵すことの出来ない領域であるはずだ。本来は。</p>



<p class="wp-block-paragraph">外は晴れているのに、なんとなく暗い空気がいつも充満している。息が苦しい。<br>なんのせいなのだろう。どうしてなんだろう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そしていつもの戦略。忘れるための、美味しい何か、面白いもの、好きな人。</p>



<p class="wp-block-paragraph">酷くなると、お酒やギャンブルや、それさえ出来ない幼い少女たちはリストカットする。あんは介護の仕事をしていた時もリストカットは続いていて、仕事の時に目立たないように、と脚を切っていたそうだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">好きなものと、依存対象と、自傷行為を同列に並べるのは間違いかもしれないけど。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そんなにして忘れなくちゃいけない自分自身って、なんなんだろう。忘れたいのは自分自身ではないのだろうか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">何が起きているのだろう。<br>どうすれば、自分の心を晴れにする力を持てるのだろう。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>少女という存在</title>
		<link>https://happoblog.org/archives/%e5%b0%91%e5%a5%b3%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e5%ad%98%e5%9c%a8/</link>
					<comments>https://happoblog.org/archives/%e5%b0%91%e5%a5%b3%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e5%ad%98%e5%9c%a8/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 29 Jan 2025 06:25:38 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
		<category><![CDATA[書籍レヴュー]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://happoblog.org/?p=157</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/01/IMG_0843.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>少女という存在「少女」で画像をググってみると、驚く。幼い少女や若い女の子たちが、グラビアアイドルの表情と姿態で量産されている。 少女は可愛い。美しい。ひ弱い。守りたくなる。愛でていたくなる。けれど決して人形ではなく、成長 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/01/IMG_0843.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p class="wp-block-paragraph">少女という存在<br>「少女」で画像をググってみると、驚く。幼い少女や若い女の子たちが、グラビアアイドルの表情と姿態で量産されている。</p>



<p class="wp-block-paragraph">少女は可愛い。美しい。ひ弱い。守りたくなる。愛でていたくなる。けれど決して人形ではなく、成長して大人の人間になる前のつぼみだ</p>



<p class="wp-block-paragraph">一章に登場する少女も、高校生らしき男の子たちから、そのスラリとした脚や、メイクして少し大人っぽくした表情を愛でられている。</p>



<p class="wp-block-paragraph">人間として生きていくために、少女時代とは、どういう時代であることが望ましいのだろう。<br>異性に惹かれる年頃だろう。他の人からどう見られるか、気になる時だろう。にしても、人間であるということは、それからの長い人生にために、心身の準備をする意識は必要ないのだろうか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">かくいう私も、いちばんの興味は彼氏ができることだったし、痩せたいと思っていたし、そのどちらもに失敗していることで劣等感の塊になっていた。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「人間は成長したい生きもの」「成長は止まらない」と書かれている明治の文章を読んだ。いつからだろう。成長する人間であることよりも、消費社会の中で消費されるものとしての商品価値や、美しいパッケージを重んじるような傾向が、少女たちの生を侵食しているような気がしてならない。</p>



<p class="wp-block-paragraph">何より悲しいのは、少女たち自身が、人間としての存在よりも、消費物としての価値で自分自身を捉えている気がすることだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">例えば、あんが人間の値打ちで自分自身を捉えることが出来ていれば、自殺しなかったのではないだろうか。母親の暴力に耐え、祖母のために介護の仕事を志し、覚醒剤からも立ち直ろうとしていた彼女の力は、どれほど価値あるものだっただろう。悲しみに共感する能力はどれほど磨がれていただろう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">社会が認めなくても、周りの誰からもちやほやされなくても、自分は自分、と胸を張れるような強さ。女の子たち、少女たち、女性たち、弱者と言われる人たちみんなが持ちたいと思うのだ。</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://happoblog.org/archives/%e5%b0%91%e5%a5%b3%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e5%ad%98%e5%9c%a8/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>原作「流浪の月」一章　少女のはなし</title>
		<link>https://happoblog.org/archives/%e4%b8%80%e7%ab%a0%e3%80%80%e5%b0%91%e5%a5%b3%e3%81%ae%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%97/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 22 Jan 2025 08:03:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
		<category><![CDATA[書籍レヴュー]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://happoblog.org/?p=149</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/01/IMG_0837-1024x768.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>この章には、自己紹介のように、この作品の登場人物とテーマが線画のように描かれている。 何気なく登場する、フレッシュピーチとホイップ生クリームのかき氷。「ずっと食べて見たかったんだ」と少女は言う。 あなたは「ずっと〜〜した [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/01/IMG_0837-1024x768.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p class="wp-block-paragraph">この章には、自己紹介のように、この作品の登場人物とテーマが線画のように描かれている。</p>



<p class="wp-block-paragraph">何気なく登場する、フレッシュピーチとホイップ生クリームのかき氷。「ずっと食べて見たかったんだ」と少女は言う。</p>



<p class="is-style-icon_pen wp-block-paragraph">あなたは「ずっと〜〜したかった」ことが叶った、叶えた経験はありますか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">子どもの頃、夢見た何かが実現した記憶。<br>大したことではないはず。大人から見たら、むしろつまらないこと。フレッシュピーチとホイップ生クリームのかき氷の如く、身体に良くもない。何かのためになるとも思えない。けれどその子自身が、この玉石混交のとっ散らかった社会の中で出会い、心に描いた夢。その小さな頭の中で、心の中で、手にしてみたいと決めた何か。</p>



<p class="wp-block-paragraph"><br>純粋な希望。<br>誰にも強制されず、誰かの価値判断を仰がず、ただ、自分だけで決め、それが実現するという経験。</p>



<p class="is-style-icon_book wp-block-paragraph">最初の成功。<br>その子ども時代の体験がのちのちの苦闘の人生を乗り越えていく力になる、というのが、この作品の人間観だと思う。</p>



<p class="wp-block-paragraph">もう少し、この食べ物の話を続けたい。<br>「ずっと食べて見たかったんだ」というセリフが表現しているのは、なんらかの事情ですぐにはその願望が叶えられなかったことを意味している。けれど彼女は、その願望を持ち続けていたし、そしてこの時、叶っている。</p>



<p class="wp-block-paragraph">少女は、希望を持つこと、それが叶う経験をした、ということだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">その後の母親からのメールとそれについての連れの男女との会話も、願望の話だ。<br>お母さんは「今日は彼氏とお泊まり」。つまり年頃の娘が居るシングルマザーだが、彼氏とのお泊まりという願望を叶えているし、少女も「平気、慣れてる」と言い、返信さえしないが、「今度の彼氏はいい人なんだよね。結婚してくれると安心」「頼りない親を持つと、しっかり者になるのよ」と言い放つ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">様々な親娘関係があると思うが、世間体を気にして、そんなのはわがままだ、留守中に娘に何かあったらと考え、外泊などしない、あるいは娘には隠す、というある意味、常識的、良妻賢母的な場合も、まだまだ多いかもしれない。願望は隠され、共有されず、共感を生まない。</p>



<p class="wp-block-paragraph">もう一つ、よくある願望を諦めてしまう理由が貧乏だ。ウェディングドレスのバービー人形が欲しくても、いちばん安いワンピースのにするとか、レストランではプリンアラモードではなく、ホットケーキにするとかだ。度重なるうち、子ども自ら安いものを選ぶようになってしまう。学習性無力感の一種と言えるだろう。それでも買ってもらえるだけまし、レストランやファミレスに行けるだけ上等かもだが。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「あんのこと」のコピーは『希望どころか絶望さえ持てなかった』とある。</p>



<p class="wp-block-paragraph">美味しいもの、美しいもの、豪華なもの、便利なものがあちこちに溢れているこの社会で、どうして小さな女の子がその子らしい希望を、夢を持てずに亡くなったのか。生き延びられなかったのか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「流浪の月」一章　少女のはなしのフレッシュピーチとホイップ生クリームのかき氷のように、小さな願望が叶うこと、少女がしっかり者になること、そんな秘訣や工夫を解き明かす努力を続けたい。</p>



<p class="wp-block-paragraph">書き始めてみて、それが出来るように、あんが応援してくれる気がしている。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>プロローグ</title>
		<link>https://happoblog.org/archives/%e3%83%97%e3%83%ad%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%82%b0/</link>
					<comments>https://happoblog.org/archives/%e3%83%97%e3%83%ad%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%82%b0/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jan 2025 08:20:19 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
		<category><![CDATA[書籍レヴュー]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://happoblog.org/?p=139</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/01/4fdf61e07592597dcd3831b29f76adac-1-1024x727.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>自分について あなたにとって、自分ってどんな存在ですか？ 重い荷物？思い通りにならない厄介もの？もっと綺麗だったらよかったのにもっと賢かったらもっとお金持ちだったらもっと強かったら 自分に足りないものがたくさん押し寄せて [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/01/4fdf61e07592597dcd3831b29f76adac-1-1024x727.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p class="wp-block-paragraph"><span class="swl-fz u-fz-l">自分について</span></p>



<p class="is-style-icon_pen wp-block-paragraph">あなたにとって、自分ってどんな存在ですか？</p>



<p class="wp-block-paragraph">重い荷物？思い通りにならない厄介もの？<br>もっと綺麗だったらよかったのに<br>もっと賢かったら<br>もっとお金持ちだったら<br>もっと強かったら</p>



<p class="wp-block-paragraph">自分に足りないものがたくさん押し寄せてきて自分を苦しめる<br>いつだって自分を責めてくる</p>



<p class="wp-block-paragraph">でも<br>足りないものを見て苦しんでいる自分は<br>正しく抜かりなくすべてを見ているのでしょうか<br>見落としているもの、見ないように避けているものはありませんか</p>



<p class="wp-block-paragraph">その、とても大切なのに、いつのまにか蔑ろにしてしまっている何かを探しに行きませんか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">手がかりは、原作と映画の「流浪の月」と、映画「あんのこと」に描かれた二人の女たち。</p>



<p class="wp-block-paragraph">どちらも、私たちが生きている今の社会の苦しさや問題点が余すところなく映し出された作品。そして、どうすれば幸せに生き延びていけるかのヒントも、海の底の白い石のように輝いて、読み取られること、見つけられること、伝えられることを待っている気がします。</p>



<p class="has-border -border01 is-style-icon_book wp-block-paragraph">少しずつ、丹念に読み解きながら、お伝えして行きます。<br>いつか、あなたの「自分」が輝きはじめることを祈りながら。</p>



<p class="wp-block-paragraph"></p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://happoblog.org/archives/%e3%83%97%e3%83%ad%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%82%b0/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
