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	<title>映画レヴュー &#8211; 自分を育てる</title>
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	<description>いちばんの大切をいちばんに</description>
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		<title>人間が押すマイナスの烙印を消して愛おしい宇宙生命体として生きる</title>
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		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 19 Jul 2025 09:37:03 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
		<category><![CDATA[＃あんのこと]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/07/fantasy-7347891_1280-1024x576.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>杏のことを考え続けている 彼女の外面売春ヤク中被虐待児小学校で登校拒否 マイナスの烙印全部消し去りたかっただろう 普通の女の子の殴られない生活ウリなんか知らない淡い恋愛笑い合う生徒たち優しそうなお父さん仲の良い姉妹 どう [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/07/fantasy-7347891_1280-1024x576.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>杏のことを考え続けている</p>



<p>彼女の外面<br>売春<br>ヤク中<br>被虐待児<br>小学校で登校拒否</p>



<p>マイナスの烙印<br>全部消し去りたかっただろう</p>



<p>普通の女の子の<br>殴られない生活<br>ウリなんか知らない淡い恋愛<br>笑い合う生徒たち<br>優しそうなお父さん<br>仲の良い姉妹</p>



<p>どうしてそこにわたしは居ないのだろうって<br>どうしたらここから抜け出せるだろうって<br>彼女は何度考えただろう</p>



<p>だけど<br>もしもだけれど<br>その忌まわしい烙印<br>つまり彼女の外面を全部取り去ったとしたら<br>何が残るのだろう</p>



<p>彼女の内面<br>自分で選んだわけじゃない苛酷すぎる人生を生き抜いてきた生命<br>優しい子だったろうか<br>どんな時に微笑んでいたのだろう<br>好物は何で<br>好きな色は何色だったのだろう</p>



<p>もしもだけれど<br>外面で判断しない人に出会えていたら<br>それがあの刑事さんや記者さんかもしれないけれど<br>例えば生活保護課で<br>更生施設で<br>もう一人<br>彼女の内面を凝視めてくれて認めてくれる誰かがいたらと思う<br>いや、実際そうして救われている子たちもきっといるのだろう</p>



<p>でも</p>



<p>もしも誰もいなくても<br>彼女自身が<br>わたしはわたしと思えていたら<br>自分の内面の潜在的な強さに気づけていたらと思う</p>



<p>彼女を自殺に追い込んだと思われる彼女の境遇と烙印<br>それらは変化しないものだろうか</p>



<p>小さな木はいつか大木になる<br>花が咲き、実がなり、枯れ葉が舞うように<br>宇宙の生命体は刻々成長して変化する</p>



<p>人間も他の植物や昆虫、鳥や獣たちと同じように<br>宇宙の生命体の一つにすぎない<br>時々刻々変化する<br>ましてや意志を持ち、言葉を使い、自由な手で創造の出来る人間は<br>自ら変化を目指し成し遂げる可能性を確かに持っている</p>



<p>名声や肩書き、成功も失敗も、烙印も<br>永続的なものではなく<br>人間が人間を予測したり値踏みしたりするときの<br>物差しに過ぎないのではないか</p>



<p>宇宙から生命を与えられた存在であるということの方が<br>重くて深い真実なのではないか</p>



<p>少なくとも見えない内面を<br>外面とは別の<br>重要さで捉えるべきではないだろうか</p>



<p>ただ生きているだけで精一杯だった<br>想像し難いひどい状況を生き延びてきた<br>その彼女の内面を<br>彼女自身が<br>自分を蔑んだり責めたりするのではなく<br>よくやってる頑張ってると思えていたら<br>認めることが出来ていたらと思わずにはいられない</p>



<p>彼女が自分の存在を大切なものと認めることを阻んでいたものは<br>何だろう</p>



<p>例えばわたしのような<br>彼女ほどひどくはない人生を生きている<br>その他大勢の人間たちに責任がある気が<br>どうしてもしてしまう</p>



<p>ほんの少し前に<br>パタパタと子どもたちが死んでいく時代が長くあった</p>



<p>飢餓で<br>流行り病で<br>災害で</p>



<p>それをなんとかなんとかしようとした<br>親たちの兄妹たちの周りの人々の<br>山積みの悲しみの永遠のような連続が有って</p>



<p>たくさんの失敗や克服や格闘と成果や成功があって<br>今の時代がある</p>



<p>ここにこうして存在出来ていることの奇跡<br>存在しているだけで誰かの苦労のお陰<br>昔の子どもならとっくに亡くなっていたかもしれない弱さでも<br>生き延びられる時代</p>



<p>そのことを忘れて<br>毎日もっと楽をもっと美味しいものをもっと楽しいことを<br>もっとお金を<br>もっと成功を<br>もっと愛され<br>もっと綺麗になって<br>って<br>欲に塗れて日々を過ごしている<br>その愚かさが原因のひとつに思える</p>



<p>そろそろ方向転換して<br>人間だけ自分だけの便利や楽、長生きのような<br>外面だけを<br>追求するのをやめる時が来ている</p>



<p>そのエネルギーを<br>奇跡な生命を与えられている<br>誰よりも大切な自分自身の内面の充実と</p>



<p>全ての生命を慈しむ方向に使おうって</p>



<p>小さな杏の死はわたしたちに教えてくれている気がする</p>
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		<title>いい子とやばい人</title>
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		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 06 May 2025 06:23:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生の知恵]]></category>
		<category><![CDATA[批評]]></category>
		<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
		<category><![CDATA[書籍レヴュー]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/05/ai-generated-9062661_1280-1024x579.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>虐待された子はいい子にならざるを得ない、と前回書いた。愛され、保護されるために、自分であることではなく、いい子であること、圧倒的に強い力を持つ大人に気に入られることを無意識に選ぶ。選ばざるを得ない。 「流浪の月」には、い [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/05/ai-generated-9062661_1280-1024x579.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>虐待された子はいい子にならざるを得ない、と前回書いた。愛され、保護されるために、自分であることではなく、いい子であること、圧倒的に強い力を持つ大人に気に入られることを無意識に選ぶ。選ばざるを得ない。</p>



<p>「流浪の月」には、いい人ではなく、やばい人が登場する。更紗の母親（父親も）だ。彼女は、我慢をしない人。ママ友がひとりもいない、そしてそのことを全く気にしていない。ママ友のおつきあいより、楽しいことがたくさんあるそうで、映画を観ること、音楽を聴くこと、朝でも昼でも飲みたいときにお酒を飲むこと。お父さんと更紗との暮らしを愛することに忙しく、つまんないことに割く時間なんてないという人だ。</p>



<p>「灯里さんは感覚的なんだ」とお父さんは言い、同じマンションのおばさんたちは、浮世離れしているとこそこそ言っている。浮世離れの意味がわからなくて、更紗が物知りそうな図書館のおねえさんに訊いてみると「マイペースすぎてやばい人」と教えてくれる。</p>



<p>そういうお母さんと、隠しているだけでやばい人かもしれないお父さん。じゃあ、やばいふたりの一人娘であるわたしは？いつか、やばい人になるのかな？と更紗は考える。</p>



<p>明るいうちからお酒を飲み、気が向いた時にしか料理をしないお母さん、たまにはアイスクリームが夕食になるお家、子どもには過激とされる映画を家族で観て、お父さんとお母さんがおはよう、おやすみ、いってきます、おかえり、とよくキスをする、それら諸々すべてがクラスメートには信じられないことだったようで、彼女は学校では変わり者で、仲間はずれだ。理由は、変な家の子、だから。でも彼女の家では、それらは笑い話になる。更紗は陰口を言われてもまったく傷つかなかった。お父さんとお母さんがやばい人でも、更紗はふたりが大好きで、やばいことになんの不都合も感じなかった、そういう我が世の春の子ども時代を彼女は過ごす。その幸せは続かないのだけれど。</p>



<p>暴力や力の強い大人からの抑圧によって、自分でいることが認められない、いい子。<br>やばい両親だけれど、大好きで、やばいことになんの不都合もなく幸せでいられる、変わり者の子。</p>



<p>子どもたちには、成長のその時々に備わっている力がある。養われていく力もある。早く歩くとか、早く字を覚えるとか、よその子と比べて、優れていて欲しいと思うのは、親ならば誰でもやりがちなことだろうけれど、本当に必要なこと、親にできる最大限のことは、その子が、自分の良さや変さ、やばさを、認めること、なんの不都合もないということに気づくこと、周囲の目より、陰口より、自分の幸せを優先して当たり前だという強さを伝えることではないだろうか。</p>



<p>というより、むしろ大人や親自身が、自分の幸せ、自分の変さ、やばさを受け入れることが大事だろう。親だから、しっかりしていなくては、とか、子どもを躾けなければとか、妙ないい格好しいに陥っていないか、自問自答する方がいい気がする。</p>



<p>もし大人が、実力ではなく大人という権力で子どもに向かい合ったなら、子どもは実力では愛されないと思い、無理ないい格好しいを真似るかもしれない。</p>



<p>正直にありのままで、キミが居てくれて幸せ、と子どもたちと生きれていたら、子どもにはそれが伝わる。</p>



<p>人間がひとりひとりに分かれているって、それぞれに良くて変でやばくて、違和感もあって、別々の力や人生の宿題を背負っているからではないかな、と思う。親子だって、似ていたって、別もの。尊重して尊敬するべきものではないか。</p>



<p>変さ、やばさ、それを自分で認める、受け入れて生きる親たち。更紗はその価値観の中で過ごしたから、それからの困難を乗り越えられたのではないだろうか。</p>



<p>目には見えないものだけれど、自分の幸せを自分で掴み取っていくための、強さの芯。唯一無二の自分の価値を、自分で認める。現実を、正直さを、実力を。そのまま生きる強さが培われていたと思えるのだ。</p>




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		<title>「いい子」と、ありのまま</title>
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		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 26 Apr 2025 08:35:11 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[批評]]></category>
		<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/04/cat-8578562_1280-1024x679.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>あんは、どうしたら自殺せずに済んだのだろう。あーでもない、こーでもないと、考えていた。 彼女は生きている、という事実。苛酷の中を生き延びている、という偉大さ。今ここに存在している、ということの重要さに、彼女自身が気づけて [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/04/cat-8578562_1280-1024x679.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>あんは、どうしたら自殺せずに済んだのだろう。あーでもない、こーでもないと、考えていた。</p>



<p>彼女は生きている、という事実。苛酷の中を生き延びている、という偉大さ。今ここに存在している、ということの重要さに、彼女自身が気づけていたら、認めることが出来ていたら、大切だと思えていたら、死なずに済んだはずではないか。</p>



<p>彼女にそれを認めさせなかったものは、何か。</p>



<p>ーー子どもは、大人の性的虐待（売春の強要も含まれる）に無防備である。大人は、子どもに対して、あらゆる面で圧倒的な力を持っている。大人が、子どもに迫ってきたとき、子どもは逃げることができない。もし子どもが大人からの性的関係を強要されたとき、それを拒めば、親の愛情や保護を失うことを子ども自身、良く知っている。そのために子どもは、親の前で「良い子」「従順な子」であろうと振舞う。そうした努力は多大のエネルギーを伴う。ーー<br>自殺問題Q＆A自殺予防のために　p.154　「現代のエスプリ」別冊2002</p>



<p>圧倒的な力の前で、「良い子」「従順な子」であろうとするとは、どういうことか。<br>「良い子」「従順な子」であるとは、彼女自身で無くなることではないのか。</p>



<p>「良い子」という幻想は、いくらでも高くなっていくハードルのように、捉えどころがなく、届かない彼女を否定する。<br>現実に、ここに、存在しているありのままの彼女を見えないものにしてしまう。</p>



<p>自分自身ではいられない、ありのままでは生きていけない。絶えず別の存在であることが強要される。多大なエネルギーを費やし、「良い子」になろうとし、そしてそれは大概徒労に終わる。殴られることは日々繰り返される。</p>



<p>暴力は続き、否定は続き、内在化してしまった自己否定が続く。<br>自己受容という安らぎは遥かかなた、食べたことのないご馳走のよう、出会ったことのない人のように、夢見ることもできずに遠い。<br>そこに彼女が存在している真実にも関わらず。</p>



<p>圧倒的暴力と権力差が存在する戦場だ。<br>時間も意志も欲望も全て自分のものではない、無力の世界。</p>



<p>彼女の人生は彼女のものなのに。<br>生きていること、存在そのものが絶対的に有力なのに。<br>少なくとも今の日本は戦場ではないのに。</p>











<p>彼女のことを考え続けていたら、自分が答えを貰っていた。</p>



<p>できるだけ「良い子」や「いい人」にならなければならないと私も強迫的に思っていた。<br>できる限り、至らない点を見つけ、自分を責めたり、否定したりすることでより良くなれると思い込んでいた。</p>



<p>やめよう。　自分ではない「いい人」や「ナニモノカ」になろうとすることは。<br>戻ろう。　自分は今、生きているという、ホームポジションに。<br>何度でもどんな時でも。<br>それがいちばん基礎の重要な真実だから。</p>



<p>未熟で未完成で欠点と長所がある自分をそのまま受け入れる、自己受容という安らぎを自分にあげよう。</p>



<p>そこからなら歩き出せる。自分を虐めず、他者を憎まず。<br>穏やかに。</p>
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		<title>自分の真ん中、ホームポジションに還る</title>
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		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 03 Apr 2025 09:55:11 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生の知恵]]></category>
		<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/04/IMG_0858-1024x683.jpeg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>　前回、こんぺいとうの出来る様子に、自分を形作っていく仕組みを見た気がしたと書いたけれど、もう一つ、自分っていうものの一つの例示を見たと思ったことがある それは、バドミントンだ。通常は、鋭いスマッシュや、思いがけなくスト [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/04/IMG_0858-1024x683.jpeg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>　前回、こんぺいとうの出来る様子に、自分を形作っていく仕組みを見た気がしたと書いたけれど、もう一つ、自分っていうものの一つの例示を見たと思ったことがある</p>



<p>それは、バドミントンだ。<br>通常は、鋭いスマッシュや、思いがけなくストンと落ちるドロップ、見事なヘヤピンショット、不屈のレシーブに目を奪われる。けれど、それらの決め技を支えている、地味な動きがある。フットワークだ。打ったらすぐ、コートの真ん中に必ず戻る。筋力と体力と忍耐力とを必要とする、とてもキツイ動き。</p>



<p>高校生のとき、あの美しい動きに憧れてバドミントン部に入った。美しさとはうらはらの厳しさについていけず辞めてしまったけど。走り込み、柔軟、素振り、そしてサーブやハイクリアなどの打ち方の練習をした。羽根のついたコックに触れることのできる練習は楽しい。だけど、ラケットを持って、前後左右、斜め前後ろに何度も行き来することを繰り返すフットワークの練習は、キツイだけに思えて面白くなかった。苦手だった。</p>



<p>世界で活躍する、山口茜選手の試合をYouTube で見る側になったとき、フットワークの大切さに目を開かれた。しっかりした軸足、身体いっぱい伸ばしてレシーブして、すぐに真ん中に繰り返し繰り返し戻る姿。強い自分というもののカタチを見た。</p>



<p>自分のコートのどこにどんなショットが来るか分からない。それは、私たちの毎日に似ていないだろうか。<br>バドミントンの試合なら、死ぬことはないけれど、私たちの毎日は、それほど意識していないけれど、死の恐怖、病気の不安、未来への心配、煽られて騙されることなど、大小の様々な攻撃にさらされている。</p>



<p>私たちに出来る最善はどうすることだろう。自分のコートのどこが狙われようが、全ての場所にいちばん近い、コートの真ん中、自分自身にできる限り戻っておくことだと思えた。コートの境界と限界の感覚も研ぎ澄ませながら、真ん中がどこなのか、身体が覚えるまで、何度も何度も繰り返し練習して。</p>



<p>高校時代、下手くそプレーヤーだった私は、自分の打ったショットの行方をぼーっと見ていたり、試合相手の動きに気を取られ、コート内のどこに自分がいるのか把握できない場所で立ち竦んでいて、大きく開いた空間に打ち込まれて、手も足も出なかった。</p>



<p>世界でも国内でもいろんなことが起きている。外側ばかりに気を取られ、自分の真ん中をほったらかしていないだろうか。自分自身は何が大事で何が好きで、どんな時に幸せなのか。そんな小さいけれど大切な、自分の真ん中に繰り返し戻っているか。対話しているか。軸足はしっかりしているだろうか。</p>



<p>あんほどひどくなくても、ヤングケアラーと呼ばれる子たちは、ちゃんと自分の真ん中に戻れる時間を持てているだろうか。自分のコートの境界線も守られず、限界を超えながら、絶えず打ち返せないショットにやられて、途方に暮れていないだろうか。<br>いつかその苦しみの日々を自分の境界線の中の養分にして、大きな人に育ってください、と祈るばかりだ。</p>
]]></content:encoded>
					
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		<title>こんぺいとうと自分の芯</title>
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		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 23 Mar 2025 06:42:54 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/03/IMG_0856-1024x668.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>こんぺいとうというお菓子。綺麗な色のお砂糖の塊のような食べ物だけど、熟練した職人さんの手で、40度以上の室温の場所で何時間もかけて、作られるそうだ。 大きな板の上にばら撒かれる砂糖。少しずつ加えられ、何度も何度も動かされ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/03/IMG_0856-1024x668.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>こんぺいとうというお菓子。綺麗な色のお砂糖の塊のような食べ物だけど、熟練した職人さんの手で、40度以上の室温の場所で何時間もかけて、作られるそうだ。</p>



<p>大きな板の上にばら撒かれる砂糖。少しずつ加えられ、何度も何度も動かされて、だんだんに星のように形作られていくのだけれど、実は星の形を成していくためには、最初に必要なものがある。</p>



<p>撒かれる砂糖よりも先に板の上に置かれるのは、芥子（けし）の実だ。以前はよく、あんパンの上に乗っていた、ゴマよりもまだもっと小さな実。種か。</p>



<p>その小さな小さな実に少しずつの砂糖が絡みつき、また少し多くくっつき、星の形に育っていく。</p>



<p>その話を聞いたとき、あぁ、その芥子の実のようなものが、自分の素や芯になるものでは？と思った。私にはそれがないのだ、と思った。何かをやっても、形作られていくように思えない砂山のような日々。作って消え、固めようと思っては崩れていくような虚しさを感じていたから、こんぺいとうに結晶出来ない、バラバラのままの溶けた砂糖に、我を見たような気がした。</p>



<p>では、こんぺいとうにとっての芥子の実にあたる、人間にとっての最初の小さな実だか種だかは何なのだろう。</p>



<p>高橋瑠美子さんの漫画に出てくる、誰もが欲しがる、心の中の宝石みたいなもの？<br>読書猿さんの「独学大全」の第一の技法で探す、“動機”のようなもの？<br>使命？意志？</p>



<p>天分！</p>



<p>誰もが持っていて、磨かれるのを待っている、原石めいた何か。<br>ダイヤモンドも見つけられて磨かれなければただの石なのだ。<br>誰が見つけて掘り出し磨き育てるのだろう。</p>



<p>見つけあえればいい。育てあえればいい。<br>けれど、誰も見つけてくれなくても、自分で見つけれる。いくつからでも。</p>



<p>そう信じるのに必要なのは、今ここにいる自分の心次第で生み出せる、意志だけだ。<br>最初は、芥子の実みたいに、どれほどちっちゃくても。</p>



<p>そして、もう一つ。<br>反対側に在る、獣的なものを認めること、受け入れることが大事な気がする。<br>私たちはどうしょうもなく動物の一種なのだ。神ではない。動物としての部分は、抑圧しても嫌っても無視しても存在する。紛れもない現実だ。<br><br>だからと言って、野放しで良い訳ではなく、ちゃんと認め、受け入れ、赦す。解決策を模索する。ありのままって、そういうことだろう。</p>



<p>天使で悪魔な自分を、人間に育てることを優先し、忙しくして、時間とエネルギーを集中して使えば、穏やかな、こんぺいとうのような日々がくる気がする。</p>



<p>自分を育てる時間も穏やかな日々もなかっただろう、あんに、こんぺいとうを贈りたい。</p>
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		<title>遠いから泣ける　近くて泣けない</title>
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		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 14 Mar 2025 09:06:11 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/03/graveyard-2454239_1280-1024x682.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>中学3年生の時、父親が亡くなった何が悲しかったかと言えば、泣けなかったことだ 火葬場で「お父さん！」と泣き叫んでいる同い年くらいの女の子がいて羨ましかった目の前のお茶菓子を食べたいと思っている自分が情けなかった 忌引きが [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/03/graveyard-2454239_1280-1024x682.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>中学3年生の時、父親が亡くなった<br>何が悲しかったかと言えば、泣けなかったことだ</p>



<p>火葬場で「お父さん！」と泣き叫んでいる同い年くらいの女の子がいて<br>羨ましかった<br>目の前のお茶菓子を食べたいと思っている自分が情けなかった</p>



<p>忌引きが済んで登校した中学ではクラスメイトが悲しんでくれた<br>私の代わりに泣いてくれる子までいた<br>どうしてそんなに悲しんでくれるのか　そんなに大変なことなんだろうか<br>なんて思っていた</p>



<p>お父さんなんて死ねばいいのに、と布団の中で思ってたことが何度もあった<br>お母さんをグタグタ毎夜いじめていたから</p>



<p>小さい頃はお父さんの方が好きだった<br>胡座の中にコソンと座って安心してた</p>



<p>何がいけなかったんだろう<br>二人とも善人だったのにねぇ</p>



<p>昨日、ここ3年ほど関わっている、不登校の子たちを支援する団体の報告会があり<br>たまたまコメントを求められた。行き始めてしばらくして、子どもたちやスタッフの方たちと仲良くなれた時に、ふと感じた気持ちのことを話した<br>「この子たち、もしも私が死んだら泣いてくれるなぁ」と思えたという話。「だから、私の方が助けられています」と言った。いいコメントだったと若い仲間が言ってくれた</p>



<p>仏教では人と人の距離を大切にしていて、近すぎると摩擦が起きるとされているそうだ</p>



<p>距離をとって見る。別の人間として、自分と同じように苦しみ喜ぶ感情があって、その人だけの人生を一日一日生きている人間として認める</p>



<p>距離の近すぎる家族には難しいのだろうか<br>そこにいるのが当たり前、子どもや妻や夫のために働いて当たり前、悪いことはせず、機嫌よくしていることが正常で、逸脱すれば非難され嫌われ人間扱いされなくても仕方なかったのだろうか　</p>



<p>距離があるおかげで、一人の人間としてみてくれて、そんな私の死を知って泣いてくれるだろう子どもたちは、距離があるからそのうち忘れることも出来て、通常の生活に戻るだろう</p>



<p>そして、父の死に際して泣けなかった私は、ほんの1週間後くらいに一人で長い時間をかけて大泣きした。鈍麻していた感覚が、やっと通常に戻ったのだろう。もう、父がいなくなってからだったのは申し訳ないし悔しいが、こうして今でも考え続けていることで許して欲しい。</p>



<p>あんが亡くなって、お母さんはお骨を引き取りに来られたそうだ。小学生の時から売春をさせたお母さん。暴力を振るい続けたお母さん。今、どんな気持ちでどんなふうに暮らしておられるのだろう。それから、どこかにいる、あんの父親には、彼女の死の知らせは届いたのだろうか。</p>



<p>彼女の両親もまた、あんがそうだったように、救いの手の必要な人たちだ、と思う。いつか一人の人間として、他者から尊重される経験を味わう日がくるのだろうか。自分でも自分自身に対して、優しくあることが出来るようになられるだろうか</p>



<p>あんの死が、その力の一部分でも持っていてくれることを祈る</p>
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		<title>境界線の自由　距離の自在</title>
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		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 06 Mar 2025 06:47:53 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
		<category><![CDATA[書籍レヴュー]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/03/lima-3759138_1280-1024x682.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>自由をくれる境界線に加えて“自分”を作るもう一つの要素は、人と人の距離感覚だ。 わたしは小学校でいじめに遭って、学校を飛び出したことで先生や他の生徒たちが気づいてくれて、事なきを得た、という経験があるのだが、それからずっ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/03/lima-3759138_1280-1024x682.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>自由をくれる境界線に加えて“自分”を作るもう一つの要素は、人と人の距離感覚だ。</p>



<p>わたしは小学校でいじめに遭って、学校を飛び出したことで先生や他の生徒たちが気づいてくれて、事なきを得た、という経験があるのだが、それからずっと不思議だったことがある。</p>



<p>いじめる子たちがいた。いじめられる私がいた。そのほかにどちらにも関わらない、加担しない子どもたちがいた、という事実。傍観者と悪くいうこともできるが、自分で自分の平穏を保てていた賢明な子たち、とも言える。どうしたら、そのどちらにも関わらない、安全地帯に居れるのだろう、何となく、そんな謎が長い間私の中に残っていた。</p>



<p>いじめが起きた時、絶対的に加害者が悪いと言われることが多い。でも当事者として、少しの違和感があった。実はいじめられる側にも何か原因があるのではないか、とずっと感じてきた。</p>



<p>人間関係がうまくいく人は距離の取り方が上手いと、あるYouTubeの動画で知って、ふむ、と思った。</p>



<figure class="wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-block-embed-youtube wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe title="人間関係を上手に構築できる人。" width="500" height="281" src="https://www.youtube.com/embed/wyYfQG1qweE?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
</div></figure>



<p>近づきすぎるというのは、相手に恐怖感を与える。職場ではいい人なのに、家に帰ればDVというのも、近すぎる距離のなせる技ではなかろうか。</p>



<p>自己コントロールの効かなそうな人の危険区域に入ってはいけないのだ。自己コントロールの効かない私のような人間には、見分けがつかない。周りに見習ったりできるような自己コントロールの上手な親しい人は見当たらなかった。夫婦は仲が悪くて愚痴を言っていて当たり前、みたいな世間を生きていた。私の頭の中には、虐める人と虐められる人の、境界線も距離もない、一方的で暴力的な会話が棲んでいたのだ。</p>



<p>「流浪の月」の登場人物、更紗の同棲相手の亮ちゃんも、そういう人物だ。実家の人びとの間で交わされる会話は、強権的で一方的だ。亮ちゃんの頭の中にも抑圧的暴力的なもうひとりの人が棲んでいて、思い通りにならないと暴力が飛び出してくる。更紗は、傷だらけになりながらでも、ちゃんと逃げ出してくることの出来る女性。彼女の中には、他者を尊重する対話や自分で決めて自分で選べる、自分自身が棲んでいたのだと思う。</p>



<p>他者を、自分とは別の、その人なりの考えを持った人として尊重していたら、撲ることは出来ない。悪口を言うことも出来ない。別の人というのは、自分にとって、自分の判断では分からない存在なのだ。</p>



<p>分からないなら、距離が必要だ。観察する時間も要る。ある程度離れているから、いいところ悪いところが見える。客観的で理性を持っていられる。平和で継続可能な仲良しになりたいなら、無闇矢鱈に近づくことは危険だ。あぁこんなこと、知ってる人には当たり前のことなんだろうなぁ。</p>



<p>でも、たとえばもしアイスクリームを食べたことがなければ、その味は知らない。精神的な成長のことのように見えないことは、知らないことを知ることも出来ない。そういうことはいっぱいある。</p>



<p>自分は、人間は、愚かだなぁという自覚が、人生を慎重に大切に丁寧に少し辛抱しながら幸福に生きていくのに必要だ。</p>



<p>ちなみに、近過ぎて、憎々しい存在にゴキブリがいる。トンボや蝶のように別の区域ではなく、私たちの領域を侵す存在。同じ食べ物（それもゴミのようなできれば見たくないもの）に寄ってくる。同じ昆虫なのに、私たちは平気で殺せる。実は毒性はないらしいのに。遠くにいてくれさえすれば、これほど憎まないだろう。吉田秋生さんの作品にゴキブリが主人公の漫画がある。見られたら殺されてしまうゴキブリの側から描いた短編。私たちの偏見や凝り固まった当たり前に、小さな罅を入れてくれる隠れた傑作。<a href="https://www.amazon.co.jp/%E5%8D%81%E4%B8%89%E5%A4%9C%E8%8D%98%E5%A5%87%E8%AB%87-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E5%90%89%E7%94%B0%E7%A7%8B%E7%94%9F-ebook/dp/B00YOWWX1Y">https://www.amazon.co.jp/%E5%8D%81%E4%B8%89%E5%A4%9C%E8%8D%98%E5%A5%87%E8%AB%87-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E5%90%89%E7%94%B0%E7%A7%8B%E7%94%9F-ebook/dp/B00YOWWX1Y</a></p>



<p>距離を取ることの意味を書いたけれど、距離を取れず近づいてしまうことは、自分自身を放りっぱなしだという不足があるとしても、他人の気持ちを理解する共感力を養ってくれる。聴覚障害者とDVの両親の下で繰り返された、徒労めいた気遣いで身についた共感力。あんの状況に想いを馳せられるのも、そのおかげだ。人生に無駄はないのかもしれない。活かせるかどうかだ。</p>



<p>究極は、距離を縮めたり、遠ざかったり、忍者っぽく自在に運用できる自分になれれば、出会った人と平和に居れる。日々、練習。筋トレみたいに、筋肉痛になりながら、少しずつ柔軟に強く早く動ける心身を作っていく。</p>
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		<title>自分を守る境界線で安心する</title>
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		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 04 Mar 2025 06:31:42 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
		<category><![CDATA[書籍レヴュー]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2023/10/kelvin-han-cj3J5sRrXMw-unsplash-768x1024.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>「自分は自分、他人は他人」という言葉がある。それほど腑に落ちないまま、聞き流していたのだけれど、アダルトチルドレンについて書かれた「子どもを生きればおとなになれる〈インナーアダルト〉の育て方」という書籍を読んで、“境界” [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2023/10/kelvin-han-cj3J5sRrXMw-unsplash-768x1024.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>「自分は自分、他人は他人」という言葉がある。それほど腑に落ちないまま、聞き流していたのだけれど、アダルトチルドレンについて書かれた「子どもを生きればおとなになれる〈インナーアダルト〉の育て方」という書籍を読んで、“境界”という考えを知って、自分がいかに自分と他者という境界線を引けずにいたかに気づけた。</p>



<p>ーー境界とは、自分が他の人とは別の独立した存在であることを保証するものです。私たちの育った家庭では、多くの場合、境界のゆがみや混乱が起こっていたり、はっきりした境界が存在しませんでしたーーp．29<br>ーー十歳の娘にあなたのお父さんは浮気したのよと話すことは、子どもの安全を損ないます｡母親はそのことを誰かに話す必要があるかもしれませんが、その相手はおとなとしての能力があって適切なサポートや助言ができる人であるべきですーーp．30</p>



<p>日本には「子は鎹（かすがい）」ということわざがある．辞書には、鎹とは土台のつなぎ目や、梁（はり）と梁をつなぐために打つ金具、二つのものをつなぎとめる役目をなすものの意にも用いられる、とあった。</p>



<p>子どもは夫婦をつなぎとめる役目をなすものなのだろうか。子どもは、太い梁と梁をつなぎとめる役割は負えない。子どもには、自分が太い梁になることが優先的な仕事であって、親はどうぞ自分たち同士でつながってくださいと言いたい。</p>



<p>わたしの幼少期の場合、昼間は、父親の暴言を受けていじめられて悔しい母の愚痴と悪口を聞き、夜には酒を飲む父親がどうぞ今夜は機嫌よく飲み終えてくれますように、と気を使い、そしてその想いは決して成功することは無く、失敗体験だけが自分の中に積み重ねられて過ぎていた。</p>



<p>大人になっても、子どもの時に作られなかった、自分という境界線は薄いままだった。</p>



<p>ようやく知った境界線を意識できると、とても楽になった。誰もが自分をちゃんと生きている。誰かの欠けた何かを見つけて、それを解決しようと、侵入して干渉して、何とかしなければという強迫観念に脅かされて生きる必要はどこにもないのだ。</p>



<p>その時間とエネルギーは自分に使うのが賢いのだ。自分に向き合うことは、目が外向きについている人間としては、実はとても骨の折れる作業だったりする。よほどうまくいかない限り、あるいは志や目標を持たない限り、自分を見つめることは難しい。恐るべき自己保存現状維持ホメオスタシスの力。劣等感に塗れた自分など見たくもない、という悪循環もあったし。</p>



<p>でも境界線を引くことを知ったことで、自分がおぼろげながらも見えてくる。一人の生命が存在するのに、この歳まで生きてくるのに、どれほどの食物を食べただろう。数えきれないほどの植物、動物の生命。その豊かさを生み出してくれる、地球のシステム、毎日毎日の苦労の積み重ねで、今の社会を築いてくださったご先祖様や、先人の方々。感謝。</p>



<p>まず、この小さなわたしを幸せにすればいいのだ、境界線で区切られたこの自分がまず先でいいのだ。こんなに狭くていいんだ。それぞれが重荷の一部分を背負っているから、安心していいのだ、そして反面、誰かがわたしを気遣ってくれなくても、責めるいわれはどこにもないのだ。</p>



<p>自由。そんなふうに肩の荷が降りる気がした。</p>



<p>あんも境界線に守られていたなら、逃げれたのではないだろうか。逃してあげたかったな。起きている苦境よりも、本当はあなたの生命の方がずっと大きくて強くて重要なんだと、伝えたかった。</p>
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		<title>自分の中の、もうひとりの人</title>
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		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 03 Mar 2025 05:43:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
		<category><![CDATA[書籍レヴュー]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/03/IMG_0849-1024x1024.jpeg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>映画「あんのこと」の中で、わたしにとって最も哀しかったシーンは、団地の狭くて暗くて長い階段を、暴力を振るう母親に先導されて、バギーを抱えて登って行く場面だ。 「行くな、行かないで」と叫びそうになった。 なぜ、暴力を振るう [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/03/IMG_0849-1024x1024.jpeg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>映画「あんのこと」の中で、わたしにとって最も哀しかったシーンは、団地の狭くて暗くて長い階段を、暴力を振るう母親に先導されて、バギーを抱えて登って行く場面だ。</p>



<p>「行くな、行かないで」と叫びそうになった。</p>



<p>なぜ、暴力を振るう母親の元に戻らなければならないのか。どうして逃げないのか。</p>



<p>端的に言えば、彼女には“自分“が無かったのだと思う。<br>あんは、あんの身体を持っていた。紛れもなく“自分”だ。<br>物理的な一つの存在。世界でたった一人の。<br>だけど、彼女を守る“自分”がいなかったのだ。</p>



<p>自分を守って、損得を考えて、優先順位をつけて、行動する自分。<br>決めたり選んだり出来る自分。</p>



<p>わたし自身、ついこの間まで、事あるごとに、自分に「死ねば」だの「何やってんだ」など、言い続けていた。よく自殺したいとも思っていた。ただ空想するだけでリスカさえしたことはないけれど、何かにつけ自暴自棄めいていた。両親が生きていた時は、悲しむから出来ないと思ったし、子どもたちを授かってからは、傷つけてしまうことに耐えられない、と思った。遠くから「明けない夜は無いよ」と励まし続けてくれる人も友だちもいてくださった。それでも並行して、「死ねばいいのに」とも思い続け、自分に言い続けていた。</p>



<p>苦しみ悩み逃避、試行錯誤と乱読、ネット渉猟の末にようやく分かってきた。</p>



<p>鍵は言葉だ。</p>



<p>人間は考える時に言葉を使っている。その言葉は、幼少期、会話の形で取り込まれる。つまり、発話され交わされた言葉として、やりとりとして吸収される。（鶴見俊輔さんは言葉を話すということは社会だ、と書いている）</p>



<p>誰と誰がどんな言葉を交わし、コミュニケーションしていたのか。分かりあう、納得し合うところまで会話は続けられていたのか、どちらかが屈服したり言いたいことも言えず飲み込んだりしていたのか、その形が一人の人間の頭に取り込まれ、再生される。健全な対話を取り込むことが出来た子どもは、自分の頭の中に二人の話し合い考え合い思い遣れる人々を持つことが出来るのだ。</p>



<p>わたしの例で考えると、中途難聴の母とDV気味の父。わたしが取り込んだ会話は、一方的で差別的で、対話では無かった。つまりわたしの原初の基礎の、考える元になる言葉たちは、反論の出来ない暴力的なものだった。その機能不全の自己内対話は気づくまでずっと訂正されず使用されていた。</p>



<p>両親の名誉のために付け加えると、彼ら自身が、母は聴覚障碍者として、父は男の子嫌いの母親の子どもとして、尊重されず邪魔者扱いされていた。そのことに苦しんでいたし、二人とも何とかしようとしていたし、うまくいかず余計に苦しんでいた。不器用に愛してくれていた、と思う。子どもの目でわたしはそれを見ていたし分かっていた。青少年期が日清日露、二つの大戦に見舞われた時代だったという逃れられない事情も大きく影響していたはずだ。だから憎むことはできず、ただ解きたい謎として、考え続ける元になった。</p>



<p>あんに話を戻すと、彼女の中に、母親の横暴に抗議し反論し、自分を守るために逃げるという言葉を持ったもう一人の自分がおらず、その考えや勇気を生み出せなかったのだと思う。</p>



<p>「流浪の月」では、主人公更紗が、自分を守れる子どもとして育った経緯が描かれている。その箇所については、別の機会に書く。</p>
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		<title>ただここに居る、という奇跡な出来事</title>
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		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 15 Feb 2025 09:00:51 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[批評]]></category>
		<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
		<category><![CDATA[あんのこと]]></category>
		<category><![CDATA[流浪の月]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/02/IMG_0848-1024x682.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>あんは何故死ななければならなかったのだろう。 誰も手を差し伸べなかったからすべてのつながりが断たれたから 彼女の中にあった彼女自身を動かしていた力は暴力とか抑圧とか、苦しいものでしかなかったから 無理やり彼女を動かす暴力 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/02/IMG_0848-1024x682.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>あんは何故死ななければならなかったのだろう。</p>



<p><br>誰も手を差し伸べなかったから<br>すべてのつながりが断たれたから</p>



<p>彼女の中にあった彼女自身を動かしていた力は<br>暴力とか抑圧とか、苦しいものでしかなかったから</p>



<p>無理やり彼女を動かす暴力<br>どんなに苦しい思いをしても<br>母親と祖母と、二人も三人もの幸せを作り出すなんて無理で<br>彼女の思いは、行為は、いつも実らない。<br>あの、哀しいケーキのシーンで表されていた。<br>毎日毎日、彼女自身に彼女の無力を繰り返し証明していたのだと思う。</p>



<p>でも、どんな状態にしろ、彼女は生きていたんだよね<br>心臓は動いていて、血液は流れていたんだよね<br>苛酷な状況を生き延びていることを<br>どうして彼女自身が誇れなかったのだろう</p>



<p>彼女が生きていること自体が<br>奇跡の連続の上に成り立っていることで<br>もしも誰も認めてくれなくても、自分自身を褒めていいんだ<br>すごいことだって<br>どうすれば、思えるようになれたのだろう</p>



<p>「流浪の月」には文が言う「更紗は更紗のものだ」というセリフがある</p>



<p>あんはあんのものだったんだ</p>



<p>誰に認められなくても褒められなくても<br>自分だけは自分の味方</p>



<p>彼女の自死は、彼女が自分で選んだ<br>自分が生きていたことを表現する最後の手段。それだからこそ、監督が映画にしようと決心されることに繋がったし、この映画を観る私たちは、彼女のことを知ることができ、悔しくて悲しくどうしようもなくなることができる</p>



<p>残された私たちの仕事は、あんのような悲しい女の子がいなくなるよう、何かできることをする、微力でも困難な謎だとしても解決への糸口を探ることだ</p>



<p>誰だってどんな境遇だって、自分が生きていることはすごいことなんだって思える人が増えるといい<br>苦境の中を生きている凄さを理解できたら、同情や哀れみではなく、驚嘆して生活保護を出せるのじゃないだろうか</p>



<p>宇宙から見たら、売春も薬物中毒も、小学校から不登校も現実にあったってことはあり得ることだったってことで、だからこそ、いつからだって、何十年かかったって、やり直せる道が、なんでもありの宇宙には用意されているはずなのだ。そちらの道こそ人間社会にも用意すべきなのに、宇宙から見たらちっぽけな、人間社会の浅はかで狭い常識が彼女を追い詰めて、たった一つの自己表現の最終手段を取らせてしまった</p>



<p>追い詰められるべき人間がいるとすれば、小学生の女の子の性を買った男たちだろう。薬物を教えた奴らだろう。あんを、あんの母を、祖母をほったらかしにした男たちだろう。どうしてそんな酷いことがしたくなるのか、悩んで苦しんで欲しいし、そういう男たちが駆け込めて治療できる場所があってほしい</p>



<p>そんなことが罷り通っている社会通念が頑固に変わらないとしても、一人だって負けずにいるよ</p>
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