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	<title>人生の知恵 &#8211; 自分を育てる</title>
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	<description>いちばんの大切をいちばんに</description>
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		<title>いい子とやばい人</title>
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		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 06 May 2025 06:23:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生の知恵]]></category>
		<category><![CDATA[批評]]></category>
		<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
		<category><![CDATA[書籍レヴュー]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/05/ai-generated-9062661_1280-1024x579.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>虐待された子はいい子にならざるを得ない、と前回書いた。愛され、保護されるために、自分であることではなく、いい子であること、圧倒的に強い力を持つ大人に気に入られることを無意識に選ぶ。選ばざるを得ない。 「流浪の月」には、い [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/05/ai-generated-9062661_1280-1024x579.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>虐待された子はいい子にならざるを得ない、と前回書いた。愛され、保護されるために、自分であることではなく、いい子であること、圧倒的に強い力を持つ大人に気に入られることを無意識に選ぶ。選ばざるを得ない。</p>



<p>「流浪の月」には、いい人ではなく、やばい人が登場する。更紗の母親（父親も）だ。彼女は、我慢をしない人。ママ友がひとりもいない、そしてそのことを全く気にしていない。ママ友のおつきあいより、楽しいことがたくさんあるそうで、映画を観ること、音楽を聴くこと、朝でも昼でも飲みたいときにお酒を飲むこと。お父さんと更紗との暮らしを愛することに忙しく、つまんないことに割く時間なんてないという人だ。</p>



<p>「灯里さんは感覚的なんだ」とお父さんは言い、同じマンションのおばさんたちは、浮世離れしているとこそこそ言っている。浮世離れの意味がわからなくて、更紗が物知りそうな図書館のおねえさんに訊いてみると「マイペースすぎてやばい人」と教えてくれる。</p>



<p>そういうお母さんと、隠しているだけでやばい人かもしれないお父さん。じゃあ、やばいふたりの一人娘であるわたしは？いつか、やばい人になるのかな？と更紗は考える。</p>



<p>明るいうちからお酒を飲み、気が向いた時にしか料理をしないお母さん、たまにはアイスクリームが夕食になるお家、子どもには過激とされる映画を家族で観て、お父さんとお母さんがおはよう、おやすみ、いってきます、おかえり、とよくキスをする、それら諸々すべてがクラスメートには信じられないことだったようで、彼女は学校では変わり者で、仲間はずれだ。理由は、変な家の子、だから。でも彼女の家では、それらは笑い話になる。更紗は陰口を言われてもまったく傷つかなかった。お父さんとお母さんがやばい人でも、更紗はふたりが大好きで、やばいことになんの不都合も感じなかった、そういう我が世の春の子ども時代を彼女は過ごす。その幸せは続かないのだけれど。</p>



<p>暴力や力の強い大人からの抑圧によって、自分でいることが認められない、いい子。<br>やばい両親だけれど、大好きで、やばいことになんの不都合もなく幸せでいられる、変わり者の子。</p>



<p>子どもたちには、成長のその時々に備わっている力がある。養われていく力もある。早く歩くとか、早く字を覚えるとか、よその子と比べて、優れていて欲しいと思うのは、親ならば誰でもやりがちなことだろうけれど、本当に必要なこと、親にできる最大限のことは、その子が、自分の良さや変さ、やばさを、認めること、なんの不都合もないということに気づくこと、周囲の目より、陰口より、自分の幸せを優先して当たり前だという強さを伝えることではないだろうか。</p>



<p>というより、むしろ大人や親自身が、自分の幸せ、自分の変さ、やばさを受け入れることが大事だろう。親だから、しっかりしていなくては、とか、子どもを躾けなければとか、妙ないい格好しいに陥っていないか、自問自答する方がいい気がする。</p>



<p>もし大人が、実力ではなく大人という権力で子どもに向かい合ったなら、子どもは実力では愛されないと思い、無理ないい格好しいを真似るかもしれない。</p>



<p>正直にありのままで、キミが居てくれて幸せ、と子どもたちと生きれていたら、子どもにはそれが伝わる。</p>



<p>人間がひとりひとりに分かれているって、それぞれに良くて変でやばくて、違和感もあって、別々の力や人生の宿題を背負っているからではないかな、と思う。親子だって、似ていたって、別もの。尊重して尊敬するべきものではないか。</p>



<p>変さ、やばさ、それを自分で認める、受け入れて生きる親たち。更紗はその価値観の中で過ごしたから、それからの困難を乗り越えられたのではないだろうか。</p>



<p>目には見えないものだけれど、自分の幸せを自分で掴み取っていくための、強さの芯。唯一無二の自分の価値を、自分で認める。現実を、正直さを、実力を。そのまま生きる強さが培われていたと思えるのだ。</p>




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		<title>自分の真ん中、ホームポジションに還る</title>
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		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 03 Apr 2025 09:55:11 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生の知恵]]></category>
		<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/04/IMG_0858-1024x683.jpeg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>　前回、こんぺいとうの出来る様子に、自分を形作っていく仕組みを見た気がしたと書いたけれど、もう一つ、自分っていうものの一つの例示を見たと思ったことがある それは、バドミントンだ。通常は、鋭いスマッシュや、思いがけなくスト [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/04/IMG_0858-1024x683.jpeg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>　前回、こんぺいとうの出来る様子に、自分を形作っていく仕組みを見た気がしたと書いたけれど、もう一つ、自分っていうものの一つの例示を見たと思ったことがある</p>



<p>それは、バドミントンだ。<br>通常は、鋭いスマッシュや、思いがけなくストンと落ちるドロップ、見事なヘヤピンショット、不屈のレシーブに目を奪われる。けれど、それらの決め技を支えている、地味な動きがある。フットワークだ。打ったらすぐ、コートの真ん中に必ず戻る。筋力と体力と忍耐力とを必要とする、とてもキツイ動き。</p>



<p>高校生のとき、あの美しい動きに憧れてバドミントン部に入った。美しさとはうらはらの厳しさについていけず辞めてしまったけど。走り込み、柔軟、素振り、そしてサーブやハイクリアなどの打ち方の練習をした。羽根のついたコックに触れることのできる練習は楽しい。だけど、ラケットを持って、前後左右、斜め前後ろに何度も行き来することを繰り返すフットワークの練習は、キツイだけに思えて面白くなかった。苦手だった。</p>



<p>世界で活躍する、山口茜選手の試合をYouTube で見る側になったとき、フットワークの大切さに目を開かれた。しっかりした軸足、身体いっぱい伸ばしてレシーブして、すぐに真ん中に繰り返し繰り返し戻る姿。強い自分というもののカタチを見た。</p>



<p>自分のコートのどこにどんなショットが来るか分からない。それは、私たちの毎日に似ていないだろうか。<br>バドミントンの試合なら、死ぬことはないけれど、私たちの毎日は、それほど意識していないけれど、死の恐怖、病気の不安、未来への心配、煽られて騙されることなど、大小の様々な攻撃にさらされている。</p>



<p>私たちに出来る最善はどうすることだろう。自分のコートのどこが狙われようが、全ての場所にいちばん近い、コートの真ん中、自分自身にできる限り戻っておくことだと思えた。コートの境界と限界の感覚も研ぎ澄ませながら、真ん中がどこなのか、身体が覚えるまで、何度も何度も繰り返し練習して。</p>



<p>高校時代、下手くそプレーヤーだった私は、自分の打ったショットの行方をぼーっと見ていたり、試合相手の動きに気を取られ、コート内のどこに自分がいるのか把握できない場所で立ち竦んでいて、大きく開いた空間に打ち込まれて、手も足も出なかった。</p>



<p>世界でも国内でもいろんなことが起きている。外側ばかりに気を取られ、自分の真ん中をほったらかしていないだろうか。自分自身は何が大事で何が好きで、どんな時に幸せなのか。そんな小さいけれど大切な、自分の真ん中に繰り返し戻っているか。対話しているか。軸足はしっかりしているだろうか。</p>



<p>あんほどひどくなくても、ヤングケアラーと呼ばれる子たちは、ちゃんと自分の真ん中に戻れる時間を持てているだろうか。自分のコートの境界線も守られず、限界を超えながら、絶えず打ち返せないショットにやられて、途方に暮れていないだろうか。<br>いつかその苦しみの日々を自分の境界線の中の養分にして、大きな人に育ってください、と祈るばかりだ。</p>
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		<title>石積みの石たち</title>
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		<dc:creator><![CDATA[Happo]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 31 Jan 2025 09:58:16 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生の知恵]]></category>
		<category><![CDATA[映画レヴュー]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/01/IMG_0845-1024x768.jpeg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>熊本の地震の時に、多くの建造物が瓦礫と化した中で、壊れずに残った、熊本城の石積みのことを聞かれたことはないだろうか。 削ったりせず、その石や岩、そのままの形を活かして積まれた熊本城の土台。 この工法は、最澄の興した延暦寺 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://happoblog.org/wp-content/uploads/2025/01/IMG_0845-1024x768.jpeg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>熊本の地震の時に、多くの建造物が瓦礫と化した中で、壊れずに残った、熊本城の石積みのことを聞かれたことはないだろうか。</p>



<p>削ったりせず、その石や岩、そのままの形を活かして積まれた熊本城の土台。</p>



<p>この工法は、最澄の興した延暦寺のお膝元の地で生まれた。現在もその工法は受け継がれていて、日本中を廻って講習活動を続けておられ、海外から指導を請われることも多いそうだ。</p>



<p>その伝統の工法を受け継がれている方に、お尋ねしたことがある。<br>「この、そのままの形を活かすことと、それが最も頑丈で強いことは、人間にも当てはまりますか？」と。</p>



<p>「仏さまの教えの地から生まれた工法ですから、人間についても同じと言えるかもしれませんね。ただ、実際は大きい石を支えるために、たくさんの小石や平たい石も使いますが」とお答えくださった。</p>



<p>どれひとつとして同じ形のない石、岩。人間も同じように見えて、石の違い以上にそれぞれ違う存在なのかもしれない、と言えないか。</p>



<p>親子であろうと、同じ土地の出身だろうと、同い年だろうと、同じ誕生日だろうと、比べようもなく異なっているのではないか。</p>



<p>あんの出自や幼少期は、山のてっぺんから転げ落ちた岩のように彼女を傷だらけにしていただろう。けれど、だからこそ、そのでこぼこで、支えられる人々がいて、活かされる場があったのではないだろうか。</p>



<p>この私も実は、絶えず誰かと比べて劣等感に苛まれ、どこかに正解を探してへとへとに疲れ果てることを習い性にしながら、今までの人生のほとんどを過ごしてきた。</p>



<p>でも、人間のように複雑な構造物が、単純な点数や、顔の良し悪しや、地位や役職で比べることなぞ出来ないし、そうしてしまうくらい、人間というのは愚かだと思うようになった。宇宙が存在させた以上、価値のない人などいない。人間社会にとって有用とか無用とか、愚かしめの判断はできるかもしれないけれど。愚かしい判断かもしれないという自覚は必要な気がする。</p>



<p>もうひとつ、興味深い話を石積み会社の社長さんから伺った。ご自身は、大学に行かれたので、根っからの石積み職人さんでなく、そんなことは起こらないそうだが、職人として修業を積まれたお父様と、息子さんには、石の声が聞こえるそうだ。準備して置いてあるたくさんの石の中から、「そこには私が行きます」という声が。</p>



<p>私たちそれぞれにもきっと、「そこは私が」という働く場、生きる場、活かされる場所があるのだ、と励まされる、不思議なお話だった。</p>
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