遠いから泣ける 近くて泣けない

中学3年生の時、父親が亡くなった
何が悲しかったかと言えば、泣けなかったことだ

火葬場で「お父さん!」と泣き叫んでいる同い年くらいの女の子がいて
羨ましかった
目の前のお茶菓子を食べたいと思っている自分が情けなかった

忌引きが済んで登校した中学ではクラスメイトが悲しんでくれた
私の代わりに泣いてくれる子までいた
どうしてそんなに悲しんでくれるのか そんなに大変なことなんだろうか
なんて思っていた

お父さんなんて死ねばいいのに、と布団の中で思ってたことが何度もあった
お母さんをグタグタ毎夜いじめていたから

小さい頃はお父さんの方が好きだった
胡座の中にコソンと座って安心してた

何がいけなかったんだろう
二人とも善人だったのにねぇ

昨日、ここ3年ほど関わっている、不登校の子たちを支援する団体の報告会があり
たまたまコメントを求められた。行き始めてしばらくして、子どもたちやスタッフの方たちと仲良くなれた時に、ふと感じた気持ちのことを話した
「この子たち、もしも私が死んだら泣いてくれるなぁ」と思えたという話。「だから、私の方が助けられています」と言った。いいコメントだったと若い仲間が言ってくれた

仏教では人と人の距離を大切にしていて、近すぎると摩擦が起きるとされているそうだ

距離をとって見る。別の人間として、自分と同じように苦しみ喜ぶ感情があって、その人だけの人生を一日一日生きている人間として認める

距離の近すぎる家族には難しいのだろうか
そこにいるのが当たり前、子どもや妻や夫のために働いて当たり前、悪いことはせず、機嫌よくしていることが正常で、逸脱すれば非難され嫌われ人間扱いされなくても仕方なかったのだろうか 

距離があるおかげで、一人の人間としてみてくれて、そんな私の死を知って泣いてくれるだろう子どもたちは、距離があるからそのうち忘れることも出来て、通常の生活に戻るだろう

そして、父の死に際して泣けなかった私は、ほんの1週間後くらいに一人で長い時間をかけて大泣きした。鈍麻していた感覚が、やっと通常に戻ったのだろう。もう、父がいなくなってからだったのは申し訳ないし悔しいが、こうして今でも考え続けていることで許して欲しい。

あんが亡くなって、お母さんはお骨を引き取りに来られたそうだ。小学生の時から売春をさせたお母さん。暴力を振るい続けたお母さん。今、どんな気持ちでどんなふうに暮らしておられるのだろう。それから、どこかにいる、あんの父親には、彼女の死の知らせは届いたのだろうか。

彼女の両親もまた、あんがそうだったように、救いの手の必要な人たちだ、と思う。いつか一人の人間として、他者から尊重される経験を味わう日がくるのだろうか。自分でも自分自身に対して、優しくあることが出来るようになられるだろうか

あんの死が、その力の一部分でも持っていてくれることを祈る

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