自分の真ん中、ホームポジションに還る

 前回、こんぺいとうの出来る様子に、自分を形作っていく仕組みを見た気がしたと書いたけれど、もう一つ、自分っていうものの一つの例示を見たと思ったことがある

それは、バドミントンだ。
通常は、鋭いスマッシュや、思いがけなくストンと落ちるドロップ、見事なヘヤピンショット、不屈のレシーブに目を奪われる。けれど、それらの決め技を支えている、地味な動きがある。フットワークだ。打ったらすぐ、コートの真ん中に必ず戻る。筋力と体力と忍耐力とを必要とする、とてもキツイ動き。

高校生のとき、あの美しい動きに憧れてバドミントン部に入った。美しさとはうらはらの厳しさについていけず辞めてしまったけど。走り込み、柔軟、素振り、そしてサーブやハイクリアなどの打ち方の練習をした。羽根のついたコックに触れることのできる練習は楽しい。だけど、ラケットを持って、前後左右、斜め前後ろに何度も行き来することを繰り返すフットワークの練習は、キツイだけに思えて面白くなかった。苦手だった。

世界で活躍する、山口茜選手の試合をYouTube で見る側になったとき、フットワークの大切さに目を開かれた。しっかりした軸足、身体いっぱい伸ばしてレシーブして、すぐに真ん中に繰り返し繰り返し戻る姿。強い自分というもののカタチを見た。

自分のコートのどこにどんなショットが来るか分からない。それは、私たちの毎日に似ていないだろうか。
バドミントンの試合なら、死ぬことはないけれど、私たちの毎日は、それほど意識していないけれど、死の恐怖、病気の不安、未来への心配、煽られて騙されることなど、大小の様々な攻撃にさらされている。

私たちに出来る最善はどうすることだろう。自分のコートのどこが狙われようが、全ての場所にいちばん近い、コートの真ん中、自分自身にできる限り戻っておくことだと思えた。コートの境界と限界の感覚も研ぎ澄ませながら、真ん中がどこなのか、身体が覚えるまで、何度も何度も繰り返し練習して。

高校時代、下手くそプレーヤーだった私は、自分の打ったショットの行方をぼーっと見ていたり、試合相手の動きに気を取られ、コート内のどこに自分がいるのか把握できない場所で立ち竦んでいて、大きく開いた空間に打ち込まれて、手も足も出なかった。

世界でも国内でもいろんなことが起きている。外側ばかりに気を取られ、自分の真ん中をほったらかしていないだろうか。自分自身は何が大事で何が好きで、どんな時に幸せなのか。そんな小さいけれど大切な、自分の真ん中に繰り返し戻っているか。対話しているか。軸足はしっかりしているだろうか。

あんほどひどくなくても、ヤングケアラーと呼ばれる子たちは、ちゃんと自分の真ん中に戻れる時間を持てているだろうか。自分のコートの境界線も守られず、限界を超えながら、絶えず打ち返せないショットにやられて、途方に暮れていないだろうか。
いつかその苦しみの日々を自分の境界線の中の養分にして、大きな人に育ってください、と祈るばかりだ。

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