映画「あんのこと」の中で、わたしにとって最も哀しかったシーンは、団地の狭くて暗くて長い階段を、暴力を振るう母親に先導されて、バギーを抱えて登って行く場面だ。
「行くな、行かないで」と叫びそうになった。
なぜ、暴力を振るう母親の元に戻らなければならないのか。どうして逃げないのか。
端的に言えば、彼女には“自分“が無かったのだと思う。
あんは、あんの身体を持っていた。紛れもなく“自分”だ。
物理的な一つの存在。世界でたった一人の。
だけど、彼女を守る“自分”がいなかったのだ。
自分を守って、損得を考えて、優先順位をつけて、行動する自分。
決めたり選んだり出来る自分。
わたし自身、ついこの間まで、事あるごとに、自分に「死ねば」だの「何やってんだ」など、言い続けていた。よく自殺したいとも思っていた。ただ空想するだけでリスカさえしたことはないけれど、何かにつけ自暴自棄めいていた。両親が生きていた時は、悲しむから出来ないと思ったし、子どもたちを授かってからは、傷つけてしまうことに耐えられない、と思った。遠くから「明けない夜は無いよ」と励まし続けてくれる人も友だちもいてくださった。それでも並行して、「死ねばいいのに」とも思い続け、自分に言い続けていた。
苦しみ悩み逃避、試行錯誤と乱読、ネット渉猟の末にようやく分かってきた。
鍵は言葉だ。
人間は考える時に言葉を使っている。その言葉は、幼少期、会話の形で取り込まれる。つまり、発話され交わされた言葉として、やりとりとして吸収される。(鶴見俊輔さんは言葉を話すということは社会だ、と書いている)
誰と誰がどんな言葉を交わし、コミュニケーションしていたのか。分かりあう、納得し合うところまで会話は続けられていたのか、どちらかが屈服したり言いたいことも言えず飲み込んだりしていたのか、その形が一人の人間の頭に取り込まれ、再生される。健全な対話を取り込むことが出来た子どもは、自分の頭の中に二人の話し合い考え合い思い遣れる人々を持つことが出来るのだ。
わたしの例で考えると、中途難聴の母とDV気味の父。わたしが取り込んだ会話は、一方的で差別的で、対話では無かった。つまりわたしの原初の基礎の、考える元になる言葉たちは、反論の出来ない暴力的なものだった。その機能不全の自己内対話は気づくまでずっと訂正されず使用されていた。
両親の名誉のために付け加えると、彼ら自身が、母は聴覚障碍者として、父は男の子嫌いの母親の子どもとして、尊重されず邪魔者扱いされていた。そのことに苦しんでいたし、二人とも何とかしようとしていたし、うまくいかず余計に苦しんでいた。不器用に愛してくれていた、と思う。子どもの目でわたしはそれを見ていたし分かっていた。青少年期が日清日露、二つの大戦に見舞われた時代だったという逃れられない事情も大きく影響していたはずだ。だから憎むことはできず、ただ解きたい謎として、考え続ける元になった。
あんに話を戻すと、彼女の中に、母親の横暴に抗議し反論し、自分を守るために逃げるという言葉を持ったもう一人の自分がおらず、その考えや勇気を生み出せなかったのだと思う。
「流浪の月」では、主人公更紗が、自分を守れる子どもとして育った経緯が描かれている。その箇所については、別の機会に書く。
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