ただここに居る、という奇跡な出来事

あんは何故死ななければならなかったのだろう。


誰も手を差し伸べなかったから
すべてのつながりが断たれたから

彼女の中にあった彼女自身を動かしていた力は
暴力とか抑圧とか、苦しいものでしかなかったから

無理やり彼女を動かす暴力
どんなに苦しい思いをしても
母親と祖母と、二人も三人もの幸せを作り出すなんて無理で
彼女の思いは、行為は、いつも実らない。
あの、哀しいケーキのシーンで表されていた。
毎日毎日、彼女自身に彼女の無力を繰り返し証明していたのだと思う。

でも、どんな状態にしろ、彼女は生きていたんだよね
心臓は動いていて、血液は流れていたんだよね
苛酷な状況を生き延びていることを
どうして彼女自身が誇れなかったのだろう

彼女が生きていること自体が
奇跡の連続の上に成り立っていることで
もしも誰も認めてくれなくても、自分自身を褒めていいんだ
すごいことだって
どうすれば、思えるようになれたのだろう

「流浪の月」には文が言う「更紗は更紗のものだ」というセリフがある

あんはあんのものだったんだ

誰に認められなくても褒められなくても
自分だけは自分の味方

彼女の自死は、彼女が自分で選んだ
自分が生きていたことを表現する最後の手段。それだからこそ、監督が映画にしようと決心されることに繋がったし、この映画を観る私たちは、彼女のことを知ることができ、悔しくて悲しくどうしようもなくなることができる

残された私たちの仕事は、あんのような悲しい女の子がいなくなるよう、何かできることをする、微力でも困難な謎だとしても解決への糸口を探ることだ

誰だってどんな境遇だって、自分が生きていることはすごいことなんだって思える人が増えるといい
苦境の中を生きている凄さを理解できたら、同情や哀れみではなく、驚嘆して生活保護を出せるのじゃないだろうか

宇宙から見たら、売春も薬物中毒も、小学校から不登校も現実にあったってことはあり得ることだったってことで、だからこそ、いつからだって、何十年かかったって、やり直せる道が、なんでもありの宇宙には用意されているはずなのだ。そちらの道こそ人間社会にも用意すべきなのに、宇宙から見たらちっぽけな、人間社会の浅はかで狭い常識が彼女を追い詰めて、たった一つの自己表現の最終手段を取らせてしまった

追い詰められるべき人間がいるとすれば、小学生の女の子の性を買った男たちだろう。薬物を教えた奴らだろう。あんを、あんの母を、祖母をほったらかしにした男たちだろう。どうしてそんな酷いことがしたくなるのか、悩んで苦しんで欲しいし、そういう男たちが駆け込めて治療できる場所があってほしい

そんなことが罷り通っている社会通念が頑固に変わらないとしても、一人だって負けずにいるよ

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