こんぺいとうと自分の芯

こんぺいとうというお菓子。綺麗な色のお砂糖の塊のような食べ物だけど、熟練した職人さんの手で、40度以上の室温の場所で何時間もかけて、作られるそうだ。

大きな板の上にばら撒かれる砂糖。少しずつ加えられ、何度も何度も動かされて、だんだんに星のように形作られていくのだけれど、実は星の形を成していくためには、最初に必要なものがある。

撒かれる砂糖よりも先に板の上に置かれるのは、芥子(けし)の実だ。以前はよく、あんパンの上に乗っていた、ゴマよりもまだもっと小さな実。種か。

その小さな小さな実に少しずつの砂糖が絡みつき、また少し多くくっつき、星の形に育っていく。

その話を聞いたとき、あぁ、その芥子の実のようなものが、自分の素や芯になるものでは?と思った。私にはそれがないのだ、と思った。何かをやっても、形作られていくように思えない砂山のような日々。作って消え、固めようと思っては崩れていくような虚しさを感じていたから、こんぺいとうに結晶出来ない、バラバラのままの溶けた砂糖に、我を見たような気がした。

では、こんぺいとうにとっての芥子の実にあたる、人間にとっての最初の小さな実だか種だかは何なのだろう。

高橋瑠美子さんの漫画に出てくる、誰もが欲しがる、心の中の宝石みたいなもの?
読書猿さんの「独学大全」の第一の技法で探す、“動機”のようなもの?
使命?意志?

天分!

誰もが持っていて、磨かれるのを待っている、原石めいた何か。
ダイヤモンドも見つけられて磨かれなければただの石なのだ。
誰が見つけて掘り出し磨き育てるのだろう。

見つけあえればいい。育てあえればいい。
けれど、誰も見つけてくれなくても、自分で見つけれる。いくつからでも。

そう信じるのに必要なのは、今ここにいる自分の心次第で生み出せる、意志だけだ。
最初は、芥子の実みたいに、どれほどちっちゃくても。

そして、もう一つ。
反対側に在る、獣的なものを認めること、受け入れることが大事な気がする。
私たちはどうしょうもなく動物の一種なのだ。神ではない。動物としての部分は、抑圧しても嫌っても無視しても存在する。紛れもない現実だ。

だからと言って、野放しで良い訳ではなく、ちゃんと認め、受け入れ、赦す。解決策を模索する。ありのままって、そういうことだろう。

天使で悪魔な自分を、人間に育てることを優先し、忙しくして、時間とエネルギーを集中して使えば、穏やかな、こんぺいとうのような日々がくる気がする。

自分を育てる時間も穏やかな日々もなかっただろう、あんに、こんぺいとうを贈りたい。

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